健太@傷だらけの天使

名前は健太。高倉健の健に菅原文太の太。今夜のテレビ番組で島田紳助さんが使っていたそのフレーズは懐かしいテレビ番組の有名な台詞でした。それがこの動画「傷だらけの天使」です。(↑は番組冒頭の動画です。)

萩原健一演じる主人公には死別した妻との間に一人息子の健太という名前の子供がいます。その子供の話をするときに「名前は健太。高倉健の健に菅原文太の太。をもらってつけた名前なんだ」という説明が語られていました。
島田紳助さんも間違いなくこのTV番組はみていた世代で、意識して使ったか刷り込まれていて自分の言葉として自然に使ったかはわかりませんが間違いなく元ネタはこの番組のはずです。

今回調べなおして驚いたのは、この番組の監督もしていたあの深作欣司監督の息子さんが「健太」という名前で、監督が高倉健の健に菅原文太の太。をもらってつけたということを良く周りの人に自慢していたというエピソードがあって、それをドラマの中で脚本化が使ったということのようです。

音楽は井上堯之バンド、衣装はBIGI菊池 武夫(TAKEOKIKUTI)。あにき~っと絡む水谷豊、おさむちゃんと怪しげに微笑む岸田今日子さん、懐かしいそして縁のない世界と思いつつちょっぴり憧れたTV番組でした。

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NHK第41回 思い出のメロディー

初めて生で聞いた平野忠彦さんのジャングル大帝が圧巻でした。昭和13年生まれの71歳。現在、東京藝術大学名誉教授、二期会理事、ニューオペラシアター神戸音楽監督、東京室内歌劇場顧問、日本音楽コンクール審査員及び運営委員ザンドナイ国際コンクール特別審査委員。文化庁在研理事長。という日本のオペラ会の重鎮にして現在もオペラも役者もこなす現役。昭和40年は27歳東京芸大を卒業して数年という頃に歌ったことになりますが、迫力満点でした。 プロフィールHP

歌  手

曲  目

昭和

西暦

三沢あけみ 島のブルース 38 1963
和田弘とマヒナヒターズ゙
松尾和子
お座敷小唄 39 1964
ペギー葉山 学生時代 39 1964
平野忠彦 ジャングル大帝 40 1965
園 まり 逢いたくて逢いたくて 40 1965
いしだあゆみ ブルー・ライト・ヨコハマ 43 1968
堀江美都子 ひみつのアッコちゃん 44 1969
布施 明 愛は不死鳥 45 1970
尾崎紀世彦 また逢う日まで 46 1971
五木ひろし よこはま・たそがれ 46 1971
錦野 旦 空に太陽がある限り 46 1971
二葉百合子 岸壁の母 47 1972
水木一郎 マジンガーZ 47 1972
殿さまキングス なみだの操 48 1973
ささきいさお 宇宙戦艦ヤマト 49 1974
フィンガー5 学園天国 49 1974
岩崎宏美 ロマンス 50 1975
千 昌夫 北国の春 52 1977
石野真子 狼なんか怖くない 53 1978
ジュディ・オング 魅せられて 54 1979
サーカス アメリカン・フィーリング 54 1979
五輪真弓 恋人よ 55 1980
ザ・ヴィーナス キッスは目にして! 56 1981

美空ひばり

川の流れのように H1 1989

今日歌われた歌を年代順に並べてみました。自分がリアルタイムの記憶がなかった昭和37年以前はカットしています。youtubeにLINKしています。
アニメソングも年代的にはかなり幅があるのがわかります。ジャングル大帝が40年前の作品なのにその画像も古さを感じなく改めて手塚先生の凄さを感じたりしました。

平成も21年になりますが、今年は平成の曲は一曲だけでした。リアルタイムではない歌でも日本の名曲として歌い継がれて行く歌はあるなぁと改めて思いました。三曲LINKを追加しておきます。

平野愛子さん  港の見える丘 昭和22年
三橋美智也さん 星屑の町 昭和37年(←これは特にお勧め)
村田英雄さん 王将  昭和36年

久しぶりにみたいしだあゆみさんはずいぶん細くなられてはいましたが、素敵に歳を重ねている感じがしました。布施明さんは紅白歌合戦のあの衣装の映像が流れて懐かしかったです。すだれのような紐が下がった腕を広げたシーンは凄い!カッコイイ!と覚えていたシーンでした。フィンガー5のT.AKIRAさんは当時のボーイソプラノではないため、本人が歌っているのですが別人の歌を聴いている感じでした。

石野真子さん、ジュディオングさんは十分に往時を思い出させてくれて楽しく懐かしく聞かせてもらいました。時間もお金もかかっているのかもしれませんが往時から30年も経っているとは思えぬ変わらぬ可愛さ美しさでした。

千昌夫さんの「北国の春」には万感の想いが込められていたような気がしました。そして五輪真弓さんの「恋人よ」は樽の中で年数を重ねて熟成したウィスキーのような馥郁たる味わいが加わっていたように思います。そういう意味では平野さんの「ジャングル大帝」も同じように深みが加わっていたような気がします。

それぞれの歌自体が持っている魅力は、歌によっては若い人の声がその歌の魅力を一番引き出す歌もあると思いますが、別な人が歌うことで別の魅力が引き出されり、同じ人が歌ってもその技量や想いの深さでより聞く人に伝わるものが深く多くなったりする場合も少なくないのだと思います。他の人の曲をカバーしたアルバムが最近はいろいろ流行っているようですが、Jazzやクラッシックの世界はカバーばかりみたいな世界な訳で、歌謡曲やフォーク・ニューミュージックの名曲も、そんな風に歌い継がれていくのでしょう。
今日、大先輩の歌を歌った若い人が迫れたかどうかは疑問が残る所もあります。昔の映像を流して偲ぶという方法もあって良いとは思います。

一緒に見ていた、昭和59年生まれの娘は知らない歌ばっかりだし、おじいさん、おばあさんばっかり と苦笑していました。しょうがありません。この冬にはおじいちゃんおばあちゃんになる世代が楽しんで見ている番組なのですから。

過去の同番組のわくわく日記の記事
NHK 思い出のメロディ(36回)
NHK第38回思い出のメロディ
NHK第39回思い出のメロディ
NHK第40回思い出のメロディ

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黄色いさくらんぼ

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我が家の桜桃も少しですが今年もなりました。つぐみやカラスにもかなりやられています。写真はあえて「黄色いさくらんぼ」


元祖 黄色いさくらんぼ 「スリー・キャッツ」は記憶にないですが子供のころ懐メロ番組で見たかも知れません。


こちらはリアルタイム、ドリフターズの「8時だよ全員集合!」で見ていたような気がします。

こうして聞いてみると、記憶的にはさわやかお色気でポップみたいなイメージだったのですが、元祖は結構艶っぽい下手するとお座敷小唄なみの風情が、ゴールデンハーフでものんびりしたものです・・。おじさんが一緒に口ずさめるこのテンポ、黄色いさくらんぼ~♪かぁ、あぁ昭和は遠くなりにけり・・。
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で、こちらが今朝のデザート 朝採り自家製さくらんぼです。実はさくらんぼの木は無造作に伸びているので高いところは脚立が必要で、採取はちょっと手間です。

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ブルーライト・ヨコハマ

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駅に貼られていたJRの大きなポスター。
大桟橋あたりからの夜景だと思いますが懐かしい歌がぴったりです。

ブルーライト・ヨコハマ
作詞 橋本淳  作曲 筒見京平

街の灯りが とてもきれいね
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
あなたとふたり 幸せよ

いつものように愛の言葉を
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
私にください あなたから

歩いても歩いても 小舟のように
私はゆれて ゆれて あなたの胸の中

あの歌が聴こえる。ヨコハマ。というわけで
Yokohama
こないだはGoogleにも出ていた横浜港開港150年周年ということでいろんなイベントがあるようです。


大観覧車の凝ったイルミネーションを含んだ動画を載せてみました。さてこの歌の作詞 橋本淳  作曲 筒見京平 の二人もそれぞれたくさんの歌を作ったプロです。歌謡曲というジャンルは昭和の懐メロにつけられたジャンルで最近のはJ-POPとか言う分類になっています。

言葉がはっきり聞き取れて、リズムものんびり四拍子、古臭いというので消えていくのは寂しい気がします。雑誌「赤い鳥」を中心としてたくさん作られた日本の童謡とおなじくらい昭和の歌謡曲はもっとスタンダード化して残っていって欲しいなと思います。今の新しい歌についていけない(聞き取れない、覚えられない、歌えない)年寄りのグチかもしれませんが・・(笑)。街の灯りが♪とてもきれいね、ヨコハマ~♪ブルーライト・ヨコハマ~♪
(今、口ずさみませんでしたか?)

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三木たかしさん追悼 by YOUTUBE part2


TVでも追悼番組でいろんな曲が流れたりしていて、もう少し偲んでみたいとPart1に続きPart2です。三木たかしさんの歌が歌手としての人生を変えた一人がテレサテンさんだとすればもう一人は石川さゆりさんでしょう。Part2の一曲目はその石川さゆりさんの「風の盆恋歌」(作詞:なかにし礼)です。(津軽海峡冬景色はあちこちでずっぱりなので避けました)


森進一さん「北の螢(作詞:阿久悠)」
(紅白歌合戦 ものすごい紙吹雪の中の熱唱)
西城秀樹さん「ブーメランストリート(作詞:阿久悠)」
ヒデキ カンゲキ!なんて覚えてますね~
art1では紹介しなかった男性歌手を二人紹介しました。



森山良子さん「禁じられた恋(作詞:山上路夫)」
シンガーソングライターのイメージの人の歌なので本人作かと思っていたら実は他の作曲家の歌などというのもままある話でこの曲もそんな一曲ですがいい歌ですね。三木さんの器用さというか多彩さを示す一曲ともいえます。
テレサテンさん「別れの予感(作詞:荒木とよひさ)」半分テレサテン特集になっていますが西川みねこさんの「あなたにあげる」よりは個人的にこちらということで(笑)


最後の2曲は子供も喜ぶ元気な歌ということで
わらべ「めだかの兄妹(作詞:荒木とよひさ)」
テレサテンさんの歌の作詞家あの荒木とよひささんの作詞だったんですね。
最後はPart2もアンパンマンです(笑)。
ドリーミング「勇気リンリン(作詞:やなせたかし)」
音楽学校をでたわけではなく独学の作曲家と聞きました。人の心に残るメロディの数々・・。阿久悠作詞、三木たかし作曲テレサテン歌なんていう新曲があちらでは新発売されるのかもしれません。素晴らしいプロの仕事に改めて感謝し、再度ご冥福を祈りたいと思います。

「三木たかしさんをyoutubeで追悼する」はこちら

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三木たかしさんをyoutubeで追悼する

夕刊に死亡記事が出ていた。顔まで知っているのは「スター誕生」という番組の審査員としてレギュラー的に出ていたからだと思う。1945年(昭和20年)1月12日生まれ 享年64歳。

石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」、テレサテンさんの「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」(レコード大賞)あたりがもっとも代表的であるが、こういう叙情的な歌ばかりではなく「アンパンマンのテーマ」や高校サッカーの「振り向くな君は美しい」など知っている曲が一杯であり才能豊かな昭和を代表する作曲家の一人だったのだと思う。

ここはお得意youtubeで三木たかし追悼記事にしてみたい。youtubeLINKの関係で表示まで少し時間がかかりますがお待ちください。へぇという曲が並びます。


あべ静江さん コーヒーショップで(作詞:阿久悠)
石川さゆり 能登半島(作詞:阿久悠)by夜のヒットスタジオ

伊藤咲子さん「君可愛いね(作詞:阿久悠)」by紅白歌合戦
(コーラスにキャンディーズ岩崎宏美)
岩崎宏美さん「思秋期(作詞:阿久悠)」(ピアノは羽田健太郎さん)

坂本冬美さん 「 夜桜お七(作詞:林あまり)」
清水由貴子 「 お元気ですか(作詞:阿久悠)」


テレサ・テンさん 「 つぐない(作詞:荒木とよひさ)」 「愛人(作詞:荒木とよひさ)」他の人の歌は一人一曲にしたのですがこのシリーズは先頭と含めて3曲。こういうのは昭和の歌なんですかね。いいですよねぇ。スナックのお姉さんが有線でリクエストしてヒットするなんていうヒットの仕方がもう昭和かもしれません。

ドリーミングさん 「アンパンマンのマーチ(作詞:やなせたかし)」
(こういう女性デュオが歌っていたのは初めてしりました)
ザバーズ 「ふり向くな君は美しい(作詞:阿久悠)」全国高等学校サッカー選手権大会テーマ曲)

こうしてみると阿久悠さんとのコンビが多いのに改めて気が付きます。阿久悠さんの素晴らしい詩も曲がついて歌になるわけで、昭和の名曲の数々を残した名コンビのひとつなのでしょう。ただ一番のヒットは荒木とよひささんとのテレサテンさんの歌の数々。あの歌この歌、その時代の思い出と共もいつまでも心に残るであろう歌の数々、そんな歌を残してくれたことに感謝するとともにご冥福をお祈りしてこの記事をおわります。

ここでとりあげなかった(笑)男性歌手の歌で三木たかしさんに想いをはせていた記事 葉桜日記Tompeiさんの「三木たかしさんご逝去」にトラックバックさせてもらいます。

男性歌手も出てくるPart2 は こちら

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今日は一日「戦後歌謡」三昧

今日は「昭和の日」歌は世につれ世は歌につれ、そんな言葉を思い出すラジオ番組流れてる。NHKのFMで今日は一日戦後歌謡三昧。←番組HPにLINK

戦後歌謡は、なつメロではない。名曲だ!」という立川志らくのメッセージから企画され、一日たっぷり昭和から平成までの歌謡曲をリクエストとユニークなコーナーで構成する「戦後歌謡三昧」。
ゲストに金子辰雄(元のど自慢アナ)、豊岡 豊(バンドマスター)他を招き、それぞれの立場から見た戦後歌謡を紹介、他にも最近発見された「第10回紅白歌合戦」を完全放送する予定。(HPより転載)

戦後歌謡というのは昭和20年代からなので、山口百恵さんやかぐや姫も流れるがたいていは、幼い頃に懐メロ番組で聞いた歌が多い。何時頃から流れるのかわからないが(おそらく夜)第10回紅白歌合戦というのはどういう出場者なのかしらべてみた by Wikipedia

紅組

白組
歌手 歌手
荒井恵子(5) 白菊の歌 曾根史郎(4) 僕の東京地図
雪村いづみ(4) スワニー 旗照夫(4) マック・ザ・ナイフ
藤本二三代(2) 好きな人 若山彰(3) 惜春鳥
朝丘雪路(2) シング・シング・シング 武井義明(初) 国境の南
織井茂子(4) モヨロ哀歌 若原一郎(4) アイヨ何だい三郎君
松島詩子(9) スペインの恋唄 伊藤久男(8) サロマ湖の歌
ザ・ピーナッツ(初) 情熱の花 和田弘とマヒナ・スターズ(初) 夜霧のエアー・ターミナル
松山恵子(3) 思い出なんて消えっちゃえ 青木光一(2) 出港前夜
島崎雪子(初) バンビーノ 山田真二(初) 娘が口笛吹く時は
二葉あき子(10) 夜汽車の女 林伊佐緒(9) 恋の幌馬車
水谷良重(2) キサス・キサス・キサス 水原弘(初) 黒い花びら
ペギー葉山(6) 南国土佐を後にして フランク永井(3) 俺は淋しいんだ
島倉千代子(3) おもいで日記 三橋美智也(4) 古城
江利チエミ(7) 八木節 フランキー堺(2) もぐら祭り
中原美紗緒(4) ある恋の物語 芦野宏(5) チャオチャオ・バンビーナ
大津美子(4) 空へ帰る人 神戸一郎(2) 青春遊覧飛行
藤沢嵐子(3) ベサメ・ムーチョ 笈田敏夫(7) プリテンド
奈良光枝(8) 山鳩の啼く駅 三浦洸一(4) 踊子
淡谷のり子(6) 雨のブルース 灰田勝彦(6) 僕は野球の選手
宝とも子(3)・有明ゆり(初)・藤崎世津子(初) シエリト・リンド ダーク・ダックス(2) 雪山讃歌
初代コロムビア・ローズ(4) ロマンス・ガイド 藤島桓夫(4) 村の駐在所
石井好子(2) 小さな花 高英男(5) ギターとタンブリン
越路吹雪(5) パリ・カナイユ 森繁久彌(初) カチューシャ
楠トシエ(3) 石松金毘羅道中 三波春夫(2) 沓掛時次郎
美空ひばり(4) 御存知弁天小僧 春日八郎(5) 東京の蟻
主なゲスト [編集]
力道山
児島明子(ミス・ユニバース世界大会優勝者)
杉葉子
ヨネヤマ・ママコ
清川虹子
白木秀雄
NHK「お笑い三人組」出演者
NHKドラマ「事件記者」出演者

LINKは正しくありません。m(__)m こちらで

1959年・・昭和34年 振り返ってみると昭和のど真ん中の時代。敗戦からの復興という言葉がまだ通じる時代だったと思います。司会は中村メイ子と高橋圭三アナウンサー。ザ、ピーナッツが初出場です。テレビをつけずにこんな番組を聴いてみるのも 昭和の日の過ごし方としてはアリかもしれません。

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今日のgoogle090424(植物学の日)

Tomitaro09m

Logo_plain_2
4月24日は牧野富太郎という人の誕生日でした。牧野日本植物図鑑というそれは分厚い図鑑が家にあってこの名前は幼い頃から知っていました。
日本のgoogleのデザインだと思いますが、なかなか大胆でしかもいい感じです。
左から ウケザキクンシラン(受咲君子蘭)、ラッパスイセン(喇叭水仙)、ヒメシャジン(姫沙参)、アヤメ(菖蒲)アヤメは葉が緑のl(エル)で花が赤のeで二文字分になっています。わかりやすくロゴを並べてみました。

実は偉い大学の先生だと思っていたのですが、東大の講師だったのでそうなのですが、小学校しか出ていない人だったというのは今日知りました。
四つの花は色以外にも何か選んだ基準があるのかと探してみたのですがよくわかりませんでした。調べていて気になったのはラッパという言葉。

何語だと思いますか?オランダかポルトガル?なんとフランス語らしいのです。しかも間違って覚えてしまった使い方。フランス語で「記憶力」のほか「呼び戻す」という意味もある「rappelle」というのが「ラッパ」になったらしいんです。江戸時代にフランス軍の将校を招いて訓練を受けたらしいんですよ。えぇ。そのときに「これが 全員集合の合図(ラッパ)です」と信号用のGet080 金管楽器ビューグルを鳴らしてみせたのを、その道具の名前と思ってしまったようなどうもそんな類のようです。だいたいフランス語と日本語でどうやって意思疎通を図っていたのかもわかりませんが、間にオランダ語くらいは絡んでの会話だとすればそれぐらいのミスが起きても不思議ではありません。日本人は器用なので見よう見真似で国産でも作ったんでしょう。それで、起床ラッパ 進軍ラッパのラッパが普及していったという話なのです。ただ庶民はあまり目にしないはず・・庶民のラッパは・・!!Ttrappab6 豆腐ラッパのトーフー。これが明治の後半だそうです。ラッパスイセンがいつごろ命名されたのかも気にはなりますが、まぁラッパはこれで一件落着。ただ。吹く鳴り物でいうともう一つ、Japチャルメラというのがあったよな・・と気になりだすわけです。これはラーメンの屋台。元は唐人飴という行商の飴売り(江戸、明治)が使っていたんだそうです。こっちは大正時代あたりからだそうで、いれかわるように消えていったのが蕎麦の屋台だそうで、この屋台の蕎麦屋の鳴り物が呼子笛。で夜鳴き蕎麦と呼ばれていたのが支那蕎麦にかわったという話。
ラッパスイセンのラッパはフランス語で、チャルメラは中近東から中国経由なんだそうです。どちらも日本の文化から消えていこうとしているようです。朝の豆腐売り、夜のラーメンの屋台自体もかなり減っているようです。生活に根ざした暮らしの文化も残していきたいものだなぁ などとすっかり小沢昭一さんの得意分野で本日の記事を終了。また明日の心だ。

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一輪挿しのついたボンネットバス(薪バス)@雪まつり

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Image01 中央バスという会社が雪まつりで特別運行したボンネット型の薪バスです。そういうイベントがあると知って今日が最終日なので見て乗ってきました。15年ほど昔にそのバス会社の創立50周年を記念して復元したものだそうです。イベント等で特別運行するのみという状況だそうです。ベースは左の写真。昭和二十年代には燃料が薪という薪バスというのはいなくなったようです。
ただこの運転席より前の客室外のフロント部にエンジンを設けた構造自体はボンネットバスと呼ばれて日本では1970年代まで地方や山間部で活躍していたそうです(欧米では今でもこの形のバスが多いようです)。

行き先を言うと切符を切ってくれて、ちゃんとお釣りをくれるバスの車掌さんは乗っていませんでしたが、路線バスって昔はそういう車掌さんがいたよなぁと想い出させてくれるディテールがあふれていました。

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懐かしいディテールの前に薪を燃やしている装置が後ろにくっついている写真。戦争(第二次世界大戦)の後半ガソリンなどなくて、薪を燃やして炭にして炭からでる可燃ガスをエンジンに送って燃料とする。というガス燃料の自動車は現在もありますが、そのガスを薪から作りながら走っていたということです。
で、右の写真、「腕木式方向指示器」ウィンカーじゃありません。自転車で腕をあげるようにオレンジのが鞘から出てきます。ワイパーが上から下がっています(となりのトトロの猫バスにもこれがついていました)。

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レトロなフロントパネルは左側。右側は社内に取り付けられている一輪挿しの青い(紫?)ガラスの花瓶!これが懐かしいというか、回想法というか、これがついたバスに乗った記憶があるんです。紫のようなガラスで、底がすっととがっていて、バスでもお花を飾ろうと専用の花瓶と金具を使って用意されていた訳でのどかな時代です。自分がみたのも40年以上前だと思います。

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ボンネットを開けてエンジンを見るのはこういうことになります。博物館的なエンジンらしいです。詳しい方にはかなり興味深い写真ではないかと思います。薪からのガスを供給するパイプがつながっています。

Img_4837 Img_4836Img_4817
これが室内。こんな座席のバスには初めて乗りました。運転席を外から見た写真。方向指示器はちゃんと収まっています。

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Img_4839 Img_4810
最新型のバスと並んだ1枚。道内の長距離バスの発着所で撮影しました。

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YouTubeで昭和83年度ひとり紅白歌合戦by桑田佳祐 (後半)

※(2008/12/16追記)
著作権等の問題でyoutubeから削除されてしまい、再生できなくなった動画(17曲ありました)についてはLINK 埋め込みを外しました。DVDなどの発売をお待ちください。
発売になりました(2009/02/06追記)

前半が重くなりすぎたので分割した後半です。前半1-37はこちら
YouTubeで昭和83年度ひとり紅白歌合戦by桑田佳祐 (前半)。
38-61 は以下に展開されています。

38.LOVE LOVE LOVE(DreamsComeTrue)1995年
39.ロビンソン(スピッツ)1995年
40.襟裳岬(森進一)1974年
41.舟唄(八代亜紀)1979年
42.SWEETMEMORIES(松田聖子)1983年
43.3年目の浮気(ヒロシ&原ボー)1982年
44.いい日旅立ち(山口百恵)1978年
45.現代東京奇譚(桑田佳祐)2007年
46.少女A(中森明菜)1982年
47.愚か者(近藤真彦)1987年

映画

圧巻は「舟歌」。挿入歌のだんちょね節の節回しの見事なこと。聞かせてくれました。(tubeは以前のラジオのもの)「3年目の浮気」は唯一ステージに桑田さんがいなかった曲でした。サザンのヒロシさんと&原ボーでベタなコントを交えながら歌っていました。愚か者は近藤真彦というよりはかなりショーケンで歌ってました。
「現代東京奇譚」は初めて聞いたのですが、深いいい歌でした。「闇の中の子供たち」という映画の主題歌だそうです。映画の予告もupしました。

48.狙いうち(山本リンダ)1973年
49.情熱の嵐(西城秀樹)1973年
50.渚のシンドバッド(ピンク・レディー)1977年
51.勝手にしやがれ(沢田研二)1977年
52.キューティーハニー(倖田來未)2004年
53.GOLDFINGER’99(郷ひろみ)1999年

のりのりの6曲。「渚のシンドバッド」と「勝手にしやがれ」は「勝手にシンドバッド」がインスパイヤーされた曲。にやりとさせる選曲です。御三家では野口五郎の歌は選ばれなかったことになります。まぁここに加わるような歌は彼は歌ってはいないですが・・
(5051は別のライブでの音だけですが、勝手にしやがれ、渚のシンドバッド、また逢う日までの3曲いりです。)

「アンコール」
54.時の流れに身をまかせ(テレサ・テン)1986年
55.涙そうそう(BEGIN)2000年
56.もらい泣き(一青窈)2002年
57.タイガー&ドラゴン(Crazy Ken Band)2002年

57

「時の流れに身をまかせ」なんかもしっとり聞かせられる歌唱力というか味わいがあるのは、年齢が重ねてきた深みもあるのかもしれません。平成に新しく作られた他人の歌はここの3曲のみ。どこか昭和の歌謡曲の匂いがする曲かもしれません。

58.ラブ・イズ・オーヴァー(欧陽菲菲)1982年
59.また逢う日まで(尾崎紀世彦)1971年
60.魅せられて(ジュディ・オング)1979年
61.あの鐘を鳴らすのはあなた(和田アキ男)1972年
619

トリとトリ前、昭和の歌謡曲の名曲4曲、聞かせて見せてくれました。魅せられてはあの広げた衣装はびっくりした記憶があります。それと小林幸子さんのステージを彷彿させる仕掛けで楽しませてくれました。

応援合戦でドリフターズの「ちょっとだけよ」を仕込んだり、野鳥の会ネタも盛り込んで、エンターティメントなライブは終了しました。バックダンサーの衣装やステップも昭和してました。この7500円は超お買い得チケットだと思います。会場でみれた方がうらやましい。
それにしても61曲(桑田さんが歌ったのは59曲)一気に歌い続けても声なんか最後まで艶々していてしかも三日間の公演の最終日。60歳の沢田研二の6時間80曲も話題になってましたが、プロと名のつく人はその鍛え方(喉?)が違うんだと敬服しました。

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YouTubeで昭和83年度ひとり紅白歌合戦by桑田佳祐(前半)

※(2008/12/16追記)
著作権等の問題でyoutubeから削除されてしまい、再生できなくなった動画(別記事の後半も合わせて27曲ありました)についてはLINK 埋め込みを外しました。DVDなどの発売をお待ちください。

発売になりましたね。

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その環境がなくせっかくのwowowでの生中継も見逃したのですが、知人よりお宝ビデオを借りて昨夜3時間一気に見てしまいました。いや、感動!楽しい!半端じゃない歌唱力(物まねを含む)と同じ時代を生きてきたんだなぁとその選曲に拍手拍手。

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上の写真は実際にそのライブに行かれたあふりかのキリンのカエルさんが「昭和83年度ひとり紅白歌合戦 by 桑田佳祐」 と題してその臨場感を伝えている記事からの借用品です。これが会場入口で配られていたパンフレットなんだそうです。懐かしのドーナツ盤(実際にはCDの大きさ)!!これだけで思い入れが十分に伝わって来ます。アラフォーというよりコレカラ世代アラファイブ世代ならこの写真だけでも盛り上がれると思いますが、全61曲を紹介します。(youtubeに動画があった曲は貼り付けました。重くなって表示までしばらく時間がかかります。お待ちくださいm(__)m) また後半は別記事です。

全部ありわけではないです。動画の前の小さな数字が曲番号です。
題名 歌手 出身地 その歌の発売年が wowowの画面にはレトロなフォントで表示されています。

1.サン・トワ・マミー(越路吹雪)1966年
2.青い山脈(藤山一郎)1949年
3.コーヒー・ルンバ(西田佐知子)1961年
4.上を向いて歩こう(坂本九)1961年

総合司会の宮田出留(みやたでる=桑田さん)の司会でスタート。越路吹雪さんは「ろくでなし」なんかもうっすらと記憶にあります。藤山一郎さんは懐かしのメロディや、紅白歌合戦でも最後のほたるのひかりを指揮していた姿が思い出されます。親の膝の中で聞いていた歌謡曲との出会いみたいな4曲。
(コーヒールンバは昔のラジオのものです。アカシアの雨に打たれてという名曲を歌った関口宏さんの奥さんがこの西田佐知子さん)
ジャンルでくくったり、歌手でくくったり必ずしも年代順ではなく57曲が続きます。

「GS vs 涙 vs 太陽」で9曲
5.君だけに愛を(ザ・タイガース)1968年
6.恋の季節(ピンキーとキラーズ)1968年
7.君に会いたい(ザ・ジャガーズ)1967年
8.恋のハレルヤ(黛ジュン)1967年
9.ブルー・シャトー(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)1967年
10.太陽は泣いている(いしだあゆみ)1968年
11.風が泣いている(ザ・スパイダース)1966年
12.夕陽が泣いている(ザ・スパイダース)1966年
13.真赤な太陽(美空ひばり)1967年

グループサウンズでタイガースが出てあとはどのグループと思ったのですがマニアックにジャガーズ、。真っ赤な太陽も加えればブルコメとスパイダーズが2曲ずつ。いしだあゆみさんの「太陽は泣いている」がこの61曲で知らなかった(覚えていなかったが正しい?)2曲のうちの1曲です。泣いていると太陽を寄せた言葉遊びも心憎い選曲。

「フォークVsニューミュージック」
14.学生街の喫茶店(GARO)1972年
15.五番街のマリーへ(ペドロ&カプリシャス)1973年
16.心の旅(チューリップ)1973年
17.あの日にかえりたい(荒井由実)1975年
18.さよならをするために(ビリー・バン・バン)1972年
19.シルエット・ロマンス(大橋純子)1981年
20.ルビーの指環(寺尾聰)1981年
21.時代(中島みゆき)1975年

ここから先はサザンも先頭を走る時代でそこまでの影響を受けたり懐かしい曲なのでしょうか。拓郎、陽水、かぐや姫、アリスなんていう70年代フォークの勇の曲がここで出てこなかったのはちょっと興味深いです。総じておしゃれな歌を集めた感じがします。ただ桑田さんの歌う「時代」はとても良かったです。歌手としての桑田さんのポテンシャルの高さを改めて認識しました。
(19は以前ラジオで歌ったもの)

22.いいじゃないの幸せならば(佐良 直美)1969年
23.さらば恋人(堺正章)1971年
24.経験(辺見 マリ)1970年
25.空に太陽がある限り(にしきのあきら)1971年
26.終着駅(奥村チヨ)1971年
27.長崎は今日も雨だった(内山田洋とクール・ファイブ)1969年
28.他人の関係(金井克子)1973年
29.君といつまでも(加山雄三)1965年

堺正章、前川清、加山雄三、物まねしてました。これがうまい!。クールファイブはコーラスも別撮りで5人分映像も音もかつらもかぶったりして一人で6人分物まねやってましたyoutubeをご覧ください。「君といつまでも」なんかは朗々と歌い上げていて引き込まれてしまう感じでした。

「クレージーキャッツVsザ・ピーナッツ」
30.だまって俺について来い(ハナ肇とクレージーキャッツ)1964年
31.スーダラ節(ハナ肇とクレージーキャッツ)1961年
32.ハイそれまでョ(ハナ肇とクレージーキャッツ)1962年
33.ふりむかないで(ザ・ピーナッツ)1962年
34.可愛い花(ザ・ピーナッツ)1959年
35.情熱の花(ザ・ピーナッツ)1959年
36.恋のフーガ(ザ・ピーナッツ)1967年
37.恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)1963年

植木さんの歌はかなり好きなようで結構物まねっぽかったです。のりよく楽しんでいる感じでした。ステージの後ろの大きなモニターにはステテコにはげのかつら姿で踊っている桑田さんも。「可愛い花」はボーカルはコーラスのお姉さんで桑田さんは歌わずにスマイリー小原(有名な踊るバンド指揮者)の物まねをしていました。

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以下の 動画および感想は 別記事
YouTubeで昭和83年度ひとり紅白歌合戦by桑田佳祐 (後半))にしました。

38.LOVE LOVE LOVE(DreamsComeTrue)1995年
39.ロビンソン(スピッツ)1995年
40.襟裳岬(森進一)1974年
41.舟唄(八代亜紀)1979年
42.SWEETMEMORIES(松田聖子)1983年
43.3年目の浮気(ヒロシ&原ボー)1982年
44.いい日旅立ち(山口百恵)1978年
45.現代東京奇譚(桑田佳祐)2007年
46.少女A(中森明菜)1982年
47.愚か者(近藤真彦)1987年
48.狙いうち(山本リンダ)1973年
49.情熱の嵐(西城秀樹)1973年
50.渚のシンドバッド(ピンク・レディー)1977年
51.勝手にしやがれ(沢田研二)1977年
52.キューティーハニー(倖田來未)2004年
53.GOLDFINGER’99(郷ひろみ)1999年

「アンコール」
54.時の流れに身をまかせ(テレサ・テン)1986年
55.涙そうそう(BEGIN)2000年
56.もらい泣き(一青窈)2002年
57.タイガー&ドラゴン(Crazy Ken Band)2002年
58.ラブ・イズ・オーヴァー(欧陽菲菲)1982年
59.また逢う日まで(尾崎紀世彦)1971年
60.魅せられて(ジュディ・オング)1979年
61.あの鐘を鳴らすのはあなた(和田アキ男)1972年

全体感想

応援合戦でドリフターズの「ちょっとだけよ」を仕込んだり、野鳥の会ネタも盛り込んで、エンターティメントなライブは終了しました。バックダンサーの衣装やステップも昭和してました。この7500円は超お買い得チケットだと思います。会場でみれた方がうらやましい。
それにしても61曲(桑田さんが歌ったのは59曲)一気に歌い続けても声なんか最後まで艶々していてしかも三日間の公演の最終日。60歳の沢田研二の6時間80曲も話題になってましたが、プロと名のつく人はその鍛え方(喉?)が違うんだと敬服しました。

後半の動画と感想はこちら

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惑散歩@東京新宿

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猫がいる街の風景はどこか穏やかです。初めての場所。新宿ゴールデン街。昼間なので本当の雰囲気とは違うのかもしれませんが昭和の風情です。

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ゴールデン街の写真を2枚、文化人やゲイの方が集まってにぎやかさ全盛だったのは少し昔のことのようです。セピア色にしてみました。
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ふらふら歩いていたらこんな通りに出会いました。新宿歌舞伎町の象徴的な写真も1枚。ここはネオンの下を歩いているカップルは写せません(^_^;)
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演歌歌手の聖地コマ劇場ももうすぐ閉鎖、最後の公演は「愛と青春の宝塚」というお芝居だそうです。右は笑っていいともでおなじみのアルタの一階の風景。
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左は三越と一緒になった新宿伊勢丹の威風堂々の構え。 右は日本一乗降客が多い新宿駅(新宿駅からJRに乗る人だけで78万人/日)の6個以上ある改札のひとつ。 東口側をウロウロ散歩した後、久しぶりに次女とあって一緒に夕食を食べた三連休の中日でした。

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青山北町アパート

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道の真ん中に猫一匹。のどかな団地の昼下がり。住所は港区北青山。
(写真はすべてクリックすると大きくなります。)

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滑り台やジャングルジムで遊ぶ子供はもうこの団地にはずいぶん前にいなくなったようです。庭木というか果樹というか大きく育っています。
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団地の配置が余裕をもたせてあり、庭なのか畑なのか野原なのか、ホトトギスが咲いていました。4階建てのアパートと同じ高さの木もあちこちに。
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後付の配管が不思議な景観になっています。給水塔。どこを写しても緑がいっぱいです。ざくろに柿、みかんにレモン。春は梅に桜、アジサイ、四季折々どこかで花が咲いてます。
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いつから動かされずに植物に囲まれているのかオートバイがありました。ハチ公バスのバス停の向こうに見えるビル街のすぐ裏にこの団地はあります。

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主人のいないぬいぐるみ達

Img_1208 住んでいる街のゴミ収集がまもなく有料化されます。その前に不要なゴミをださなきゃと大掃除。押入れの奥、たんすの上、納戸の中、あやしげなダンボールを確かめてはゴミか残すかを決めて行きました。
ぞろぞろあちこちからでてきたのが今は家にいない二人の娘たちのぬいぐるみたち。ぜんぶひっくりかえして記念撮影。
(写真をクリックしてみてください(笑)。)

娘たちが幼稚園、小学校の頃遊んだぬいぐるみ。「おかあさんといっしょ」のキャラクターをはじめとしてあれやこれや。やや大きくなってゲームセンターのUFOキャッチャーではまって集めたちいさなぬいぐるみ達も・・。15年間くらいのぬいぐるみが一同に会しての記念撮影です。
妙にチープなぬいぐるみは今回引退をしてもらういました。残したいが汚れがひどいものは洗濯機でそのまま洗うという大胆な技でリフレッシュしました。
主人のいないぬいぐるみたちは、ひとつところに集められて主人を待っていることになりました。もっとも再び遊んでもらえることはもうないのかも知れません。
むしろ、そのぬいぐるみで遊んでいた頃の子供たちを親が懐かしく想い出すためにとっておくのかもしれません。幼稚園や小学校時代の作文やら絵やら、ついつい手を止めて見てしまい、なかなか片付けが進まず、丸一日が終わって山のようなゴミをまとめたのでした。
09/28追記
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昨夜洗ったぬいぐるみの天日干しです。

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NHK第40回 思い出のメロディー

途中からだったが、NHK「第40回 思い出のメロディー」を見た。
38回39回と記事にしていて、つまりは毎年見ていることになる(笑)。
昭和23年の東京ブギウギ(藤あや子さんが真っ赤なドレスで歌って素敵でした)から昭和62年の人生いろいろ(こちらは70歳のご本人が元気に歌唱されていました)まで40曲弱。ほぼ全曲口ずさめるのですから、50代以上がターゲット世代なのでしょう。
昭和40年代50年代の歌が半数を占めていてまさに「思い出のメロディ」の数々でした。
久しぶりに見た 森光子さん八十八歳は、お歳を考えれば十分に若いし、しっかりされているのだが、「時間ですよ」のおかみさんの頃と何も変わらないと、少年隊の東君なんかと一緒にバラエティに出ていた数年前まで思っていたのだが小刻みに震えている左手や、なんだか一回り小さくなってしまった姿に老いは来るものだなぁと改めて思ったりしながらと自分の白髪頭を棚に上げて見ていました。
青森で青函連絡船の前で歌った石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」は昔ヒットさせた歌を歌ったというよりは、今の50歳の円熟した石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」でとても良かったです。

昨夜はこの後、深夜0:10からの「SONGS」という番組のBEST版もなかなか見ごたえがありました。

  歌  手 曲  目 年  代
1 藤あや子 東京ブギウギ 昭和23年
2 岡本敦郎 白い花の咲く頃 昭和25年
3 森光子 東京キッド 昭和25年
4 神楽坂浮子 ゲイシャ・ワルツ 昭和27年
5 ジェロ 有楽町で逢いましょう 昭和32年
6 村田英雄(VTR)
氷川きよし
無法松の一生~度胸千両入り~ 昭和33年
7 平尾昌晃
ミッキー・カーチス
山下敬二郎
ウェスタンカーニバルヒットメドレー 昭和33年
8 守屋浩 僕は泣いちっち 昭和34年
9 坂本冬美 お別れ公衆電話 昭和34年
10 天童よしみ ああ上野駅 昭和39年
11 水森かおり 涙くんさよなら 昭和40年
12 田代美代子
マヒナスターズ
愛して愛して愛しちゃったのよ 昭和40年
13 石原裕次郎 (VTR) 二人の世界 昭和40年
14 氷川きよし 星のフラメンコ 昭和41年
15 五木ひろし 夜霧よ今夜も有難う 昭和42年
16 高田恭子 みんな夢の中 昭和44年
17 錦野旦 空に太陽がある限り 昭和46年
18 宮史郎 女のみち 昭和47年
19 二葉百合子 岸壁の母 昭和47年
20 内田明里 浮世絵の街 昭和48年
21 安西マリア 涙の太陽 昭和48年
22 マイ・ペース 東京 昭和49年
23 中条きよし うそ 昭和49年
24 石川さゆり 津軽海峡・冬景色 昭和52年
25 庄野真代 飛んでイスタンブール 昭和53年
26 原田真二 タイム・トラベル 昭和53年
27 研ナオコ かもめはかもめ 昭和53年
28 五木ひろし おまえとふたり 昭和54年
29 松坂慶子 愛の水中花 昭和54年
30 泰葉 フライデイ・チャイナタウン 昭和56年
31 ヒロシ&キーボー 3年目の浮気 昭和57年
32 小柳ルミ子 お久しぶりね 昭和58年
33 島倉千代子 人生いろいろ 昭和62年

本日の歌を 年代順に並べておきます。聞きたかったマイペースの「東京」は聞き逃しました。Youtubeに登録されていた動画にLINKさせてみました。
誰が持っていて登録しているのか、ほぼ全部ありました。

唄った順番と一曲ごとのチェックは 「なつかしの昭和 思い出の歌謡曲」の「第40回思い出のメロディ 雑感」 に詳しいです。

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赤塚不二夫(Fujio Akatsuka)さん逝く

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いろいろ探したのですが、非常に興味深い資料をみつけたので、それを紹介し追悼の意としたいと思います。

1994年11月25日に発行されたミニコミ誌「ペッパーショップ1号」を元にそのまま構成しているHPです。記事内容はもちろん1994年当時のもので画像をクリックすると別ウインドウで大きな画像が開きます。フジオプロも全面協力の51p 、ほぼ絶頂期という意味で非常に良いタイミングの企画だったのだと思います。そうしてその仕事はもっと高く評価されるべきだ、ギャグの下に深いものがあると新進気鋭の人達が寄稿しています。

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この写真も上で紹介した HPからの借用品です。(著作権的には?)。昭和40年の小学校の学級写真、いますいます。「シェー」ポーズをきめているひょうきんものが。しかしその影響力の凄さを象徴している写真とも言えます。

M01p1213インタビューも掲載されています。

一部だけ紹介すると(左がその部分)
「俺のマンガはテーマは大人、セリフは中高生、絵の面白さは小学校低学年。だから幼稚園から大人までみんな楽しめる。」

そうなのかぁとちょっと感動してしまいました。

あらためてご冥福をお祈りします。

マンガがmangaになって世界へ発信する文化となっている時代。訃報も世界へ

記事内リンクメイン Pepper Shop 
  過去に製作したフリーペーパーやインディーズマガジンやデザインや編集仕事のアーカイブとなる予定 だそうです。

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無料のペーパクラフト D51に挑戦!

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夏休みの宿題というのは今もあるのでしょうか?これだと金賞は難しいかな。
マッチ棒で作った五重の塔とか、タバコの包装紙で作った灰皿など、おじいちゃんの趣味の発表の場ではないよといいたくなるような力作も持ち込まれていましたが、チープなプラモデルや、段ボ-ルで作ったロボットなど創意工夫をこらした大作も登場した夏休みの工作。最近はホームセンターに下処理の終わった工作セットみたいなものも売られていたりするようです。

で、冒頭の写真のD51ですが、インターネットにつながるパソコンとプリンタ。あとははさみとカッターと糊とセロハンテープとがあればされでも作ることができます。あ、それと集中力と根気(^_^;)

Img_8784_2 生来のいい加減さで、セロテープを多用して仕上げてしまっていますが雰囲気は伝わるとは思います。

元ネタはJR西日本人気列車ペーパクラフトのコーナーです。どうせ作るならとD51に挑戦してみました。レールや背景もあってちょっとしたジオラマも作れるようになっています。

JR西日本以外にも、電車以外にもいいろいろフリーのペーパークラフトはあるようです。まとめているのは ここ  

このラフさでも、ゆうに2時間以上はかかっていたりします。小学生低学年には難しいのかもしれませんが夏休みの宿題ネタでした。

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みゆきさんとSEIKOちゃん

Image2Img_86221
最初の写真は今朝の新聞の広告(CF1松田聖子編 CF2中島みゆき編)。次の写真は自分が持っているLPを並べて今朝撮影したもの。中島みゆきさん(1952(昭和27)年2月23日生 56歳)と松田聖子さん(1962(昭和37)年3月10日 46歳)。 ちなみに自分は1957(昭和32)年3月 51歳。

Image3 朝夕の食事つきの下宿で太宰治を読みながら聞いていた中島みゆきさんのLPは学生時代の思い出。カセットにダビングして頑張ってローン払っていた赤いファミリア1500XGを運転しながら聞いていた聖子ちゃんのLPはアパートで自炊していた社会人3年目の頃の思い出。
5歳年上の中島みゆきさん。5歳年下のSEIKOちゃんこと松田聖子さん。おおよそ30年たって二人とも現役でテレビのCMで共演。感慨深くまた時代の流れも感じるのでした。

左の写真は「ありがとう」の拡大当時25歳の中島みゆきさん。
ちなみに上の「パイナップル」のLPは松田聖子さん20歳

youtubeからお宝動画を探してきました。
(スムーズに見れない時は、一度最後までいってからもう一度再生するとスムーズに見れるようです。)
松田聖子さん「パイナップル」から「LOVESONG」
中島みゆきさん「愛していると云ってくれ」からは暗いというイメージ(あくまでもイメージ)の象徴みたいな名曲「化粧」

もう一曲 中島みゆきさん「ありがとう」から「ホームにて」 北海道の駅のBGVです。わくわく日記の記事「ホームにて-都会への憧れ-」も紹介しておきます。

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今日のgoogle080708(東山魁夷 誕生日)

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東山魁夷さん 1908年7月8日生まれ 1999年5月6日90歳で亡くなられている。生きていれば100歳ということで大きな展覧会もありました。 生まれて初めて画集というものを買ったのが東山魁夷さんで、模写もしたことがあります。亡くなられた時のことも覚えています。
USAのGoogleがまだシャガールだったときに時差の関係で日本のGoogleはこの絵でした。

Higashiyama_midorinoutab_2
0804higashi_4 Kaii
おそらくイメージ的にはこの3枚あたりでしょうか。
上は「緑の詩」というリトグラフ、下左は「緑響く」右は「渓聲」。すぐに「緑響く」と思ったのですが、馬の向きが違うので探してみると「緑の詩」という絵がありました。
展覧会は夏休みの間は長野で開催されています。やっぱりいいですねぇ。魁夷さんは。一度唐招提寺であの襖絵を全部みたいものです。

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シュプレヒコール

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そう多くはない集まり、サミット開催と言う権力大集合に際しての一大決起集会だと思うのだが。革マル派全学連の旗は30年ぶりに見た。by携帯@大通り公園  BGM 中島みゆき「世情」

中島みゆき 「世情」 

    世の中はいつも 変わっているから
    頑固者だけが悲しい思いをする

    変わらないものを何かにたとえて
    その度 崩れちゃ そいつのせいにする

   ※シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
    変わらない夢を流れに求めて
    時の流れを止めて 変わらない夢を
    見たがる者たちと戦うため

    世の中はとても臆病な猫だから
    他愛のない嘘をいつもついている

    包帯のような嘘を見破ることで
    学者は世間を見たような気になる

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   ※ref

   ※ref


アルバム「愛していると言ってくれ」の最後の曲
※BGMがこの曲なのでyoutube 幕末の志士の動画貼っています

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懐かしい雨の歌

コネタマ参加中: 「雨」と聞いて思い浮かぶのはどんな曲?

Img_65091
またまた雨の日曜日です。我が家の熱帯魚は先日の病気で二匹死んでしまいました。他の魚は治癒しましたが、そういう意味で淋しい熱帯魚なわけです。

淋しい熱帯魚といえばWinkの懐かしい歌もあるのですが、今日から6月で九州と南四国はもう梅雨入りだそうです。先週は雨がしとしと日曜日で思い出す歌なを書いたらいろいろ話題が広がったのですが6月なので懐かしい雨の歌を並べてみました。LINK先は全てyoutube。動画と音楽を気軽に探して楽しめるのは素晴らしいと思います。
※2009.07.17追記 現時点では全てつながっていますが、一部の動画は削除したりされたりで、動画につながらなくなっている可能性があることを了承ください。

 モナリザの微笑み ザ・タイガース(1967)
 淋しい熱帯魚 WINK(1987)

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懐かしい雨の歌
 雨に歩けば(Just Walking In The Rain) ジョニー・レイ(1957) リクエスト by 涼さん
 アカシアの雨がやむとき 西田幸子(1962)
 悲しき雨音(Rhythm of the Rain) カスケーズ(1963)
  雨の中の二人 橋幸夫(1966) リクエスト by ポッチ~さん
 雨がそらから降れば 小室等(1966) (動画なし)
 長崎は今日も雨だった クールファイブ(1969)
  Special版 (桑田佳祐、泉谷しげる、吉川晃司、高見沢俊彦、中村雅俊)
 京都の恋 渚ゆう子(1970)
 雨がやんだら 朝丘雪路(1970)
  雨の御堂筋 欧陽菲菲(1971)
  雨のバラード 湯原昌幸(1971)
  三善英史(1972)
 傘がない 井上陽水(1972)
 たどりついたらいつも雨ふり モップス(1972)動画は当時の世相
 雨の日と月曜日は(Rainy Days And Mondays) ザ・カーペンターズ(1972) 
 オレンジの雨 野口五郎 (1973)リクエスト by Tompeiさん
 ひとかけらの純情 南沙織(1973)(動画なし)リクエスト by Tompeiさん
  雨に微笑を(Laughter In The Rain) ニール・セダカ(1975)リクエスト by 摩天楼さん
 雨のステイション 松任谷由実(当時 荒井由美) (1975)
 冷たい雨 ハイファイセット (1976)
 雨の物語 (1977)イルカ(動画なし)
 銀の雨 (1977)松山千春(動画なし)
 みずいろの雨 八神純子(1978)
 雨に泣いている 柳ジョージ(1978)
 雨上がりの夜空に RCサクセション(忌野清志郎) (1980)リクエスト by アリスさん
 雨の慕情 八代亜紀(1980)
 眠れぬ夜 西城秀樹(1981)リクエスト by Tompeiさん
 瞳はダイヤモンド(1983) 松田聖子リクエスト by Tompeiさん (ザ・ベストテン映像)
 雨音はショパンの調べ 小林麻美(1984)
 雨の西麻布 とんねるず(1985)
 レイニー・ロンリネス 稲垣潤一(1984 Personallyより)リクエスト by ねこりんさん

昔の映画から有名な雨の歌

 雨にぬれても(Rain Drops keep falling on my head)(1969)バート・バカラック 
 映画「明日に向かって撃て(Butch Cassidy and the Sundance Kid.)」の主題歌
 youtubeはその映画よりブッチ(ポール・ニューマン)とエッタ(キャサリン・ロス)が自転車に乗って興じているシーンです。

 シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)(1964)ミシェル・ルグラン
 主演はあのカトリーヌ・ドヌーブです。 

 雨に唄えば(Singin' in the Rain)(1952) ジーン・ケリー(曲は1929に作曲)
 もちろんあの映画のあのシーンです。

 雨の訪問者(Rider on the Rain Le Passager de la Pluie)1970 フランシス・レイ
 チャールズブロンソン 主演の映画です
 

雨ならあの歌がない!というリクエストがあればコメントで。
ただし1988年以前が対象です(笑)。 

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北の花折々(忘れな草 ワスレナグサ)080520

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我が家の庭にて撮影、勿忘草と言う書き方もある。伝説を持つ花というのはいくつかあるが世界中でおなじ意味の名前をつけられて愛されている花というのもそう多くはないと思う。 

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忘れな草をあなたに という昭和の名曲もあるのですが もうひとつ昔の 山のあなたで有名な上田 敏の訳詩集 「海潮音」より

わすれなぐさ  ウィルヘルム・アレント
                訳 上田敏

ながれのきしのひともとは
みそらのいろのみづあさぎ
なみ、ことごとく、 くちづけし
はた、 ことごとく、 わすれゆく

漢字を当てはめれば、
流れの岸の一本は御空の色の水浅黄
波ことごとくくちづけし はたことごとく 忘れ行く

ん~古語辞典が必要ですか・・(笑)そう思った人は他にもいたようです。

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貧しいからあなたにあげられるものといったら

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新緑も美しく風薫る五月、そんな言葉が似合う季節に思い出す 短い詩があります。

  貧しいから
  あなたにあげられるものといったら、
  柔らかな五月の風と、
  精一杯愛する心だけです。
  でも、結婚してくれますね。

ん?聞いたことがある。という人も少なくないと思います。(40代以上だとは思いますが(笑))TBSの東芝日曜劇場「天国の父ちゃんこんにちは」(1968年~1980年)というドラマで主人公を演じる森光子さんが、ドラマの中で必ず最後に語る短い詩は亡くなった夫からのプロポーズの言葉。
この詩は4年前にも「北の花折々0514(2004)」で一度度紹介しています。そのときは数えるほどしかなかったこの詩についての情報が今は沢山あってブロガーが増えたことに驚くばかりです。公式情報と言って良い TBSのCS放送の番組案内がありました。

日曜劇場枠で12年間にわたり全21作品作られた天国の父ちゃんシリーズは、20%を超える高視聴率で「女と味噌汁」「カミさんと私」と並ぶ日曜劇場の代表作。大阪で下着の行商をやっていた日比野都さんの同名手記を脚色した作品。「こんちはー。パンツ屋でーす。」という元気あふれるかけ声で行商をしながら2人の子供をそだてる浪速女の物語。日比野家の人々が心の支えとしている言葉は「貧しいからあなたにあげられるものといったら、柔らかな五月の風と、精一杯愛する心だけです。でも結婚してくれますね」…。貧しくもひた向きに生きる人々の姿を描く。

ドキュメンタリーの原作があったとは今回初めて知りました。そうして人の記憶というのは面白いものだなと思いました。自分自身も4年前は「風薫る五月」という言葉が入っていたと思い込んでいました。今回調べて見るとその「~柔らかな五月の風」の部分はこうだったと(思い込んで)書いているパターンがいくつかありました。

 ~柔らかな五月の風 (Original?)
 ~柔らかな五月の若葉と
 ~さわやかな五月の若葉と
 ~優しく頬をなでる初夏の風と

どれも風薫る五月の爽やかな雰囲気を伝えてはいます。それぞれの記憶の中でイメージが熟成されていって発酵してこうだったと思い込むようになったのでしょう。わくわく日記の4年前の記事では最後が違っていました。「結婚してくれますか」ではなく「結婚してくれますね」というyesの答えを確信している積極的な言葉が正しかったようです。

4年前にはどうなるのかわからないがと書いた自分の娘がどんなプロポーズの言葉を受けたのかは知りませんが、既にプロポーズは受けた訳で時はどんどんと流れていくのだなと思いました。

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参考 この詩を紹介しているブロガーさん (by検索)

TESTAMENTO の sal01さん
 「Θパンツ屋で~す」(2005.09)

ハロ~!ポッチ~!のポッチーさん
 「こんちはー、パンツ屋です」(2006.01)

イチロー的こころ の イチローさん
 「お別れは」(2006.01)

おじさんの生きる道 の kiyoさん
 「成人式」 (2007.01)

いとしの花と2匹のネコの oss102 さん
  「貧しいから、あなたに差し上げられるものは、5月の若葉と・・・」(2007.05)

日々さんぽ の コスモスさん
 「天国の父ちゃんこんにちわ」(2007.05)

五月の柔らかな風のように の ノンさん
 「私の出来ること」(2007.05)

ドラ家の日常 の わちき さん
 「たまには「シリアス日記」(/_;)かな?」(2008.03)

Dr.Breakerのコーヒータイム の Dr.Breakerさん
 「森光子さんの名セリフ」(2008.04)

EMIT (朱夏さんのHP) より 懐かしい昭和のTV番組から
 「天国の父ちゃんこんにちは

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団塊世代狙い?@朝日新聞広告

Asahicm 今朝の朝日新聞にちょっと変わった広告がついていた。4pageで「男のロングセラー特集」と銘打っている。
「広告特集」となっているのだが、1pageはわかりやすいLarkのたばこの広告だが他の3ページは記事風。
価格や問合せ先は全く出ていなくて1960年代に一世風靡したというより当時、若者の心をつかんだ憧れの商品が今もNewモデルになって販売されているという内容になっている。
一番排気量の高いオートバイ、レーサーも使っている時計、プロも使っているエレキギター、ポルシェにも買った国産の早くて格好よい車、世界一流のカメラ、世界一流の万年筆。(左の写真はその広告の表紙、クリックすると大きく見れます。(スキャンしたもの))

あの頃のわくわくを思い出しませんか?今なら買えるんじゃないですか?という構成です。なるほどとネットで検索するのか、ショーウィンドーを見ているだけだったあの店に説明を聞きにいくのか。自分よりは少し上の世代、俗に言う団塊の世代のおじさんを狙った記事のような広告特集。

唯一の広告らしい広告は当時は値段も高くて憧れだった「ヨーモク(外国製タバコの事)」の広告。

今じゃなくて当時の写真をネットから、拾ってきました。
4th_photo1 129121  1959large201238gibson Gibson241  Parker_duofold_bigred_ad Parkerduofoldflattop18  800pxleica_m3_50mm Large112923W16502 Lark_2(←ヨーモク)

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鈴掛の木

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パンジーが植えられた公園でなにげなく街路樹を見上げるとこんな様子が。木に鈴を掛けたようなこの状態から鈴掛の木とも呼ばれる、街路樹プラタナスの木です。

Img_44311_2
鈴というにはちょっと大きく、ピンポン玉より一回り大きいです。馬につける馬鈴と呼ばれる鈴くらいかもしれません。それでも馬鈴薯よりは小さいのですが。

馬鈴をつけた馬が引く観光馬車もGWにはこの大通り公園に登場します。冬の馬橇も観光用には使われていても実用の頻度はほとんどなくなってしまいました。
馬車や馬橇が生活や産業の大事な運搬手段だったころ、道に馬糞はあたりまえでしたし、小さな町にも蹄鉄屋さんがあって、その作業を馬は痛くないのだろうかと興味深くみていた記憶があります。冬になると途中まで親が馬橇で送ってくれるという2km近くの通学路を通っていた親が農家の同級生の話をちょっと羨ましく思ったりした小学生の頃の話です。
雪解けの水が舗装されていない道路で細い流れになってそこに小さな木片を浮かべて流れていくの追いかけて遊んだりするのが今頃の楽しい遊びだった時代でした。

追記 2008/04/25
yoshiさんからのコメントでちょっと気になり鈴掛の木の名前の由来について改めて調べなおしてみました。
山伏が着る麻の衣を鈴掛(篠懸という漢字を当てる場合もあり読みは同じ)と呼ぶそうで、その飾りにぼんぼりみたいのが胸のところにつくのですが、その飾りに似ている所から
鈴掛の木と呼ばれているという説のほうがメジャーなようです。この麻の衣も雨よけと言う説と篠の枝を除ける防護服の説と両方あるようですが、どちらにしろしっかりした厚布と思われます。
Benkei Yamabusi あぁ、これね と 言いたくなるように写真もつけておきます。ひとつは『勧進帳』武蔵坊弁慶(九代目 松本幸四郎 撮影・福田尚武)の派手なの(白い丸いのがそうです)と比叡山で阿闍梨が千日行をされる時のようなシンプルなもの(オレンジの4つ)と二つ。
なお、ヤマブシタケというきのこも同じものに似ているというのでついている名前だそうです。

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内祝の短冊のし。(お祝い返し)

Img_4143 近所のスーパーの中に出店している和菓子屋さんのショーウィンドーを撮った写真です。
カステラの箱にのしがかかって、更に名前が入った短冊のしが添えられています。
北海道で生まれ育ち暮らしていると何の違和感もない写真で、それどころかある意味、季節を感じる1枚の写真だと思います。すくなくとも東京ではこのパターンは見ませんでした。あ、懐かしいと思い記事にしてみた次第です。
子供が入学式を迎えた家庭では、親戚や親しい友人からもらったお祝いにお返しをします。そのお返しにはこの短冊のしにその入学した子供の名前をフルネームで書いたものを必ずつけます。
(いや、正確に言えば「殆どの人がつけていたものでした」が正しいのかも知れません。その風習は今も続いているのはこのショーウィンドーで明らかなのですが、その普及率がどの程度なのかはわかりません。)
こののし短冊は他にも使われます。

出産祝いと快気祝いのお返しにも使われます。出産祝いでは名前をどうつけたのかの周知の目的も果たしていたのだと思います。
さらにこの短冊のしは保管されていました。束ねて茶の間の柱か、神棚の下か、束ねてぶら下がっていました。その束がお付き合いの記録簿みたいな役割も果たしていてAさんのところで子供が生まれたときにお祝いを贈ったならBさんのところで子供が生まれた時にもお祝いを贈らなきゃバランスがとれない。
送ったかどうかさだかではない。そんな時にこの束をめくると、あ、やっぱり贈っている。とわかるという仕掛け。自分が小さい頃父親が勤める会社の社宅にすんでいて、その社宅社会ではそういう相互にお祝いを送りあう習慣があったように記憶している。
今振り返ると、一種の相互扶助、無尽講みたいな要素も含んで、お祝いを贈りあっていたように思う。皆貧乏で蓄えなどないが、子供が生まれた、学校にあがる、病気になった。お祝いとはいいつつ、何かとお金の入用なイベントを近所で助け合っていたようにも思う。
「おかげさまで」そう親が言いながら近所にお祝い返しを持って回った後ろについて頭を下げていたのは何の時だろう。四半世紀以上昔の話ではある。

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茶箪笥から辿る昭和と平成

Img_3002 江戸東京博物館の昭和のコーナーに再現されていた家にあった茶箪笥。昭和30年頃の民家の再現だという。
こんな茶箪笥が物心ついたころ畳の茶の間に確かにあった。食器棚ではなく、赤チンの入った薬箱とか指抜きや和ばさみが入った裁縫箱、貯金通帳やら何か証書みたいなものもこの中にしまってあったような気がする。
お菓子もこの中にしまってあったように思う。量り売りの菓子を入れておく菓子盆だか菓子鉢があってそれがこの中にしまってあったような記憶がある。
夏休みの間、通知箋が入っていたのもこの茶箪笥の中だった。こけしも棚に並んでいたかもしれない。四本の足がある回すチャンネルのついた白黒テレビのある部屋にこの茶箪笥はあった。

テレビがカラーテレビに変わって、たたみの上にカーペットを敷くようになった頃、茶箪笥はいなくなり高さは低いが横に大きいリビングボードと名を変えた新しい茶箪笥があった。似たような使い方だったが、こけしの代わりにもらい物の洋酒や、誰かの結婚式の引き出物でもらったようなコーヒーカップセットなんかが並んでいた。
ゴムローラでつぶされて手動で絞っていた洗濯機には脱水槽がつくようになっていた。ほうきとちりとりから電気掃除機に変わっていた。雪が降っていても外に灰を捨てに行かなきゃいけない石炭ストーブから、外に大きなタンクがあって世話のいらない石油ストーブになっていた。昭和30年代後半から20年間くらいの出来ごとである。
その昭和の20年にくらべて平成もほぼ20年になるが変化はどうだろう。自分の子供達が生まれたときに家にあったものがほとんどそのまま変わっていない。電子レンジも、車も最初からあったし・・。いや。パソコンと携帯電話はなかったか。ipodもなかった。任天堂DSもなかった。昭和は家が豊かに変わった時代とすれば、平成は一人一人の情報環境が格段の進歩を遂げている時代なのかもしれない。茶箪笥から辿る昭和と平成でした。

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ブーフーウー

Image1427_2後ろの鞄も含めて本物。昭和35年から42年まで「おかあさんといっしょ」の中で放送されていたそうです。
ブー:(声)大山のぶ代
フー:(声)三輪勝恵
ウー:(声)黒柳徹子
愛宕山のNHK放送博物館にて

Image1428_2 もう一枚はあの人形劇の声優さんの写真(若山絃蔵、滝口順平、青島幸男、熊倉一夫、中山千夏)

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銀座線80周年特別車両

Tikatetsu80 Tikatetu80n
銀座線で不思議な車両に遭遇した。黄色い車両、屋根が茶色。なにやらレトロな横書き看板には「八十周年記念号」。HPによれば1927年(昭和2年)12月30日に上野、浅草間2.2kmが最初の地下鉄だったそうで、その時の車両のデザインが写真の状態だったようです。屋根の茶色がレトロ感にあふれてました。ただこの外観はあくまでもラッピングなので中は普通のいつもの銀座線でした。ただ広告はなし、地下鉄80周年記念の広告で占有されていました。フロントは写し損ねました。

初めて地下鉄に乗ったときのことを覚えています。小学校5年生、祖母がなくなって夜行列車、青函連絡船を乗り継いで内地にきたときのことです。栃木での葬式が終わって蒲田におじさんがいて、東京見物をさせてもらったんだと思います。
「あれ?急に暗くなって・・長いトンネルだな・・あれぇ・・駅に着いた」
「もう夜になったのかな」トンネルなら必ずでるはず、暗いまま駅についたから、「???」で「夜になったのかな」と思ったんだと思います。そうして外に出たら明るくて「???」「え?朝になった」と混乱していて「地下鉄」に乗ったんだと教えられて感動した記憶があります。40年近く昔の話です。

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昭和タイムズ

Syowa デアゴスティーニがまた出した新シリーズ。「昭和タイムス」創刊の特別価格190円(昭和39年)を買ってみた。190円なら毎週買って揃えたいが来週からは560円、ただ来週は昭和545年というのが、なかなかターゲットがわかる創刊号、次号ではある。

裏表紙は「時の人」と題されていてA4版のカラー写真が載っている。39年は三人が肩寄せ合ってうつっている。西郷輝彦、橋幸夫、船木一夫。
東京オリンピック、新幹線開通、かっぱえびせん発売、平凡パンチ創刊、「リンゴをかじると歯茎から血がでませんか」のCMと共にデンターライオン新発売、宝塚創立50年、ホンダF1登場、ガロ創刊、etc・・・

カレンダーに添えて写真も一杯。今25冊分予約するとミニちゃぶ台がつくそうである。Tyabidai_2
星一徹がひっくりかえしていたあのちゃぶ台。家族でこういうテーブルで食べていた記憶が自分にもある。すぐに鉄の足の四角いテーブルに代わりはしたが家族4人というよりは、自分の親が結婚して揃えた食卓がこれだったのだろう。昭和39年に小学生以上だった方は190円で買える創刊号は是非一冊買ってみることをお勧めする。7pageに渡る64年の簡単歴史だけでも値はある。その後はまるかどうかは個人の自由ということで・・。

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NHK第39回思い出のメロディ

アクセス解析でヒット数がなぜか伸びていた去年の記事「NHK第38回思い出のメロディ」今夜19:30から「NHK第39回思い出のメロディ」 加山雄三コーナー、「青春時代」、「上を向いて歩こう」など特別コーナーもあるらしいが、歌手と曲の一覧が出ていたので、少し調べてみた。30曲中1960年代が9曲、1970年代が13曲。昭和で言えば40年代が18曲。
青春ど真ん中、どの曲も懐かしい。作詞家、作曲家も調べてみると作詞では阿久悠さんが3曲、作曲では服部良一さんが3曲。雪山賛歌の作詞は第一回南極越冬隊隊長だった西堀栄三郎さんだったり、マイウェイの作詞はポールアンカさんだとか作詞家、作曲家も並べてみるとまた思い出すものもある。
駒大苫小牧高校の試合を見ながら調べていた。年代順に並べて、歌手が違う場合は元の歌手の名前、作詞家作曲家をつけてみました。個人的にはLPを持っていたグラシェラ・スサーナさんは おぉ! という感じである。石橋 正次さんの「夜明けの停車場」なんていうのも歌も本人も懐かしい。 表をごらんいただきたい。タイトルを見ただけでほとんどの歌が口ずさめるのだからすっかりこの番組のターゲット世代ではある。70年代後半をメインにしてもらえるともっと嬉しい。(笑)

 

歌手

曲名

 

作詞/作曲

1 坂本 冬美40
(霧島昇・ミスコロンビア)
一杯のコーヒーから 1939
s14

作詞:藤浦洸
作曲:服部良一

2 川中 美幸51
(李香蘭)
蘇州夜曲 1940
s15
作詞:西条八十
作曲:服部良一
3 小林 幸子53
(高峰三枝子)
湖畔の宿 1940
s16
作詞:佐藤 惣之助
作曲:服部良一
4 秋川 雅史39
(藤山一郎)
長崎の鐘 1949
s24
作詞:サトウハチロー
作曲:古関裕而
5 大津 美子69 ここに幸あり 1956
s31
作詞:高橋掬太郎
作曲:飯田三郎
6 青木 光一81 柿の木坂の家 1957
s32
作詞:石本美由起
作曲:船村徹
7 ダークダックス 雪山讃歌 1959
s34
作詞:西堀栄三郎
作曲:小六禮次郎
8 五月みどり67 おひまなら来てね 1961
s36
作詞:枯野迅一郎
作曲:遠藤 実
9 一節 太郎66 浪曲子守唄 1963
s38
作詞:越純平
作曲:越純平
10 氷川きよし
(井沢八郎)
ああ上野駅 1964
s39
作詞:関口義明
作曲:荒井英一
11 天童よしみ
(美空ひばり)
悲しい酒 1966
s41
作詞:石本美由起
作曲:古賀政男
12 マイク眞木63 バラが咲いた 1966
s41
作詞:浜口庫之助
作曲:浜口庫之助
13 伊東ゆかり60  小指の想い出 1967
s42
作詞:有馬三恵子
作曲:鈴木淳
14 橋  幸夫64 恋のメキシカン・ロック 1967
s42
作詞:佐伯孝夫
作曲:吉田正
15 奥村 チヨ60 恋の奴隷 1969
s44
作詞:なかにし礼
作曲:鈴木邦彦
16 千賀かほる58 真夜中のギター 1969
s44
作詞:吉岡治
作曲:河村利夫
17 石橋 正次58 夜明けの停車場 1971
S46
作詞:丹古晴己
作曲:叶弦大
18 尾藤イサオ63 あしたのジョー 1971
S46
作詞:寺山修司
作曲:八木正生
19 森田 健作57 さらば涙と言おう 1971
S46
作詞:阿久悠
作曲:鈴木邦彦
20 千葉 紘子59 折鶴 1972
S47
作詞:安井かずみ
作曲:浜 圭介
21 平田隆夫とセルスターズ ハチのムサシは死んだのさ 1972
S47
作詞:むろふしチコ 内田良平
作曲:平田隆夫
22 布施  明59
(フランクシナトラ)
MY WAY 1972
S47
作詞:ポール・アンカ
作曲:ジャック・ルヴォー
23 本田路津子58 耳をすましてごらん 1972
S47
作詞:本田路津子
作曲:本田路津子
24 あべ 静江55 みずいろの手紙 1973
S48
作詞:阿久悠
作曲:三木たかし
25 金井 克子62 他人の関係 1973
S48
作詞:有馬三恵子
作曲:川口真
26 グラシエラ・スサーナ アドロ 1973
S48
作詞:A.マンサネロ
作曲:A.マンサネロ
27 宮路オサム60
(殿さまキングス)
なみだの操 1973
S48
作詞:千家和也
作曲:彩木雅夫
28 西崎  緑47 旅愁 1974
S49
作詞:片桐和子
作曲:平尾昌晃.
29 岩崎 宏美48 思秋期 1977
S52
作詞:阿久悠
作曲:三木たかし
30 石川さゆり49
(美空ひばり)
愛燦燦 1986
s61
作詞:小椋佳
作曲:小椋佳

皆さん若々しいので年齢を調べてみた。名前の後ろの数字がそうである。8割以上が先輩の皆さん。特に女性陣はいろんなマジックやかなりの投資もあるのだろうが往年のイメージそのままでびっくりである。

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私、生まれも育ちも

Tora02 この鞄と帽子がトレードマークだったあの映画の主人公を演じた渥美清さんがなくなったのはもう11年前。
ゆかりの地、葛飾柴又を訪ねました。左の写真は寅さん記念館で撮ったもの。石の彫刻です。
昔昔昔、一度訪ねたことがあります。もちろん寅さん記念館などなかったですし、駅前にこんなものがあるとは思ってもいませんでした。懐かしく売られていたものもありました。

Torasan Torasan02 Torasenbei
駅前の銅像は1999年に出来たのだそうです。なかなか良くできています。寅さんの銅像ということ自体の是非はふれないでおきましょう。
そうして、もう売っていないかと思ったらまだしっかり売っていた「寅さんせんべい」は帽子をかぶった寅さんの顔の形の大きなせんべい。帝釈天参道は意外な人出。実は今回「帝釈天題経寺」に一番驚かされたのでした。それはまた明日のこころだぁ。(笑)

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まぼろしチャンネル(昭和を訪ねる)

Maborosi
まぼろしチャンネル」というHPの紹介です。

「昭和の元気」をアンプル剤として、今の中高年の閉塞を多少なりとも解消出来ればと、「まぼろしチャンネル」を開設しました。「まぼろしチャンネル」では理屈はご法度です。素直に昭和を楽しんで下さい。 と「はじめての方へ」に書かれているとおり。
1-12までしかないテレビのチャンネルを回した経験のある世代にはチャンネルをクリックして出てくる番組表あっちこっちも懐かしさ一杯だと思います。

上の画面で右側にある「まぼろし放送」というのはDJがいるラジオ番組の形式で懐かしの音楽を聞くことができます。番組表のなかからお勧めのひとつは「あの頃あなたは1972-後編」なんかはいかがでしょう。一曲目のCMソングから懐かしさ一杯です。
HP上に出てくるプレイボタンをクリックすれば放送が始まります。mp3の再生ができれば聞くことができると思います。

仕事や、やることがある時はお気をつけください。まぼろし放送をBGMにあちこち見ているとあっと言う間に時間が過ぎて行きます。

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宇宙エースと遊星少年パピィ

宇宙エースと宇宙少年パピィ
昭和こども新聞と言う本の一部。未来と宇宙はセットで憧れだった時代。宇宙家族ロビンソンなんていうアメリカのテレビドラマも懐かしい。 今の子供達にとって未来とセットのわくわくするキーワードはなんなのだろう。

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「人間として一番悲しい事

「人間として一番悲しい事
不快な靴に 慣れてしまう事」この写真についていたコピーでこれは靴屋さんの広告でした。
チャップリンよりも自分にとってはこの広告主が懐かしかったのです。
社名の横のマークは月に星。三つ馬と同じくらい懐かしいMoonStarこと月星の広告でした。夏はゴムの短靴(たんぐつ)を穿いていた少年時代に繋がる懐かしさなのです。短靴なんて知らないだろうなぁ。

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メジャーの証拠

メジャーの印
千夜一夜は大昔 石坂浩二や関口宏 夜のテレビで インタビュー 今ならお昼に イイトモと 答えて タモリとアルタで話し レモンを持って表紙飾れば メジャーの証拠 北の大地の人気者全国制覇だ 大泉洋

追記: 昭和のインタビュー番組の名前、正しくは「スター千一夜」(1959~1981)でした。記憶はいいかげんです。

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テクノポップも熟成するの?

Ymo2007
イエローマジックオーケストラ(YMO)が28年ぶりの再結成
デジタルテクノも柔らかに。 by KIRIN LAGER


B00007kkz1978 懐かしい音楽にテレビに目を向けると、武士の姿のYMOがいた。あのYMOだぁ!とちょっと感激。今聞くとありがちな普通の音楽のひとつだが、それは本当に新しい音楽だった。もみ上げの無い彼らのヘアスタイルまでがテクノカットと呼ばれていたりした。
上のyoutubeは当時のプロモ(今見ると悲しいくらいお粗末ですがこれで最先端の格好いい近未来的なCGだったのです)。CMのために新たに再演奏、再収録したというRYDEENは下のyoutube。(CMのLINK先でも見れます)

驚く事にこのCMスタジオ撮影だそうです。メイキングもありました。同じ曲なのですが、音が柔らかいというか熟成しているような気がします。上の音は若さがとがっているような。坂本龍一さん56歳、高橋幸弘さん55歳。細野晴臣さん59歳。角が取れるって奴なのか、原始人に江戸時代のコスプレも楽しんでいる余裕の音なのでしょう。

P.S.キリンビール創立100周年 記念で応募されたエピソードはいい話が一杯でした。

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拝啓、父上様

Photo_3
萩原健一22歳 32年前のこれは「前略おふくろ様」

三回目をやっと見ることができた。「拝啓、父上様」タイトルを聞いただけで、これは「前略おふくろ様」を思い出させるタイトルだと思い見てみたいと思っていたが機会がなかった。脚本 倉本聡 舞台は東京、料亭が似合う街。主人公は若い板前。 八千草薫さん、梅宮辰夫さんは 前略おふくろ様にも出ていた二人。岸本加代子さん 高橋克美さんと 芸達者というか好きな役者さんが脇を固めて 神楽坂の街がまたいい雰囲気です。今日は森光子さんと八千草薫さんが対峙する場面がありました。“正妻vs二号”の緊迫したシーン。いやぁ見ごたえたっぷり。二宮君の写真はあの事務所の厳しい管理で番組のHPにもないので32年前の主人公に登場してもらいました。ちなみに二宮君は24歳。「生真面目」という言葉が似合いそうないい青年(役者)だなぁと改めて思いました。
個人的には今日は出番がなかった高島礼子さんのいい女ぶりも見たいものですが仕事が忙しくなかなか間に合う時間に帰ってこれない今日こ頃だったりします。

で、30年前の「前略おふくろ様」がどんな番組でどんな人が出ていたのかご紹介しておきましょう。
といってもブログを紹介するだけですが、写真も一杯で素晴らしいです。今はSKⅡの恐怖の海ちゃんも出ています。実は冒頭の写真もお借りしました。下のLINKをクリックしてください。

 「前略おふくろ様」  「前略おふくろ様パート2」 by 「ブタネコのトラウマ

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りんご箱

りんご箱
籾殻ないが 木のりんご箱 あの頃思い ブログする

実は記事を書こうといろいろ調べたので
そのLINKだけ紹介しておきます。
青森ではまだリンゴ箱が使われている写真 弘前のりんご市場
りんご箱を作っている青森県は板柳町の会社 青森資材
そのりんご箱が450円で買えることを紹介しているブログ まるごと青森 の インテリアりんご箱
この りんご箱を一番最初に作った のは奥村新助と言う青森の人で東京の青果市場に出荷するために工夫して作ったのは明治39年のことだった。などということが「りんご界の進歩派 西谷 彦太郎とその仲間たち」 という 青森の黒石市の教育委員会のHPにまとまっています。

たかが りんご箱 されど りんご箱 です。
一番最初に自分の机にもらったのは包装紙を貼ったりんご箱でした。

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わが愛しのキャンディーズ

わが愛しのキャンディーズ

今夜22:00からNHKでやる番組のタイトルである。ドリフターズの「八時だよ!全員集合」でマット運動をやっていたのは何歳だったのだろう。SMASMAとのチャンネル争いに負けて後からビデオに甘んじるお父さんは少なくないように思う。

追記:
ラン(伊藤蘭、1955年1月13日 - )、スー(田中好子、1956年4月8日 - )、ミキ(藤村美樹、1956年1月15日 - )の3人組。1973年デビュー、1977年7月「普通の女の子に戻りたい」と言って翌年4月に解散。高校生、大学生の間、年上のお姉さんだった3人組のアイドルでした。

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つま恋のおじさんに涙そうそう

2006tsumagoi 涙そうそうとは涙がぽろぽろ止まらないという意味の沖縄の言葉だそうです、歌が流行って映画が作られて、すっかり有名になりました。
さて、今夜NHKではあるドキュメンタリーが22:00から放送されました。
今日までそして明日から~吉田拓郎・3万5千人の同窓会  つま恋で31年ぶり▽かぐや姫一日限りの再結成▽平均49歳涙と笑顔の大合唱▽定年目前の仲間の思い▽夢のジョイント中島みゆき」
というのがテレビ番組欄(^_^;)。残念ながら途中からだったのですが、なんだか涙そうそうでした。高校・大学時代、皆で歌ったし、深夜放送のパーソナリティもやっていたし、バイトして買ったステレオで最初に針をおろしたLPはかぐや姫でした。10歳年上の彼らにlこの年になって、また感動をもらえて感謝です。と、いううより、この年になったから感動だったのかもしれません。

BSで29日にライブを再放送するようです。見たい!

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20年前

1986p 川崎駅の地下街は東京駅八重洲地下街についで二番目に広いそうですがその中央広場みたいなスペースはちょっとしたイベントをよくやっています。昨日からその地下街ができて20周年で1986年を振り返る展示が行われていました。当時の雑誌等の展示、世相をまとめたパネル。流行っていた音楽が流れていました。

メインの展示は川崎でもロケを行った元祖トレンディドラマとも言えるあの番組でした。

写真(展示パネルを写しました)の「男女7人秋物語」がその番組で10枚以上の写真がパネルで展示されていました。1986

その年の主な出来事を調べてみました。
1月  スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故、乗組員全員死亡。
2月 フィリピンのマルコス大統領からアキノ大統領の就任。
4月 ソ連でチェルノブイリ原子力発電所爆発事故発生。
4月 人気アイドル岡田有希子さん飛び降り自殺。
9月 土井たか子さんが日本社会党委員長に就任。
12月 ビートたけし(北野武)と、たけし軍団が講談社襲撃事件を起こし、逮捕。

風雲たけし城 あぶない刑事 世界ふしぎ発見 などのテレビ番組
横綱 千代の富士 が5回優勝した年 首相は中曽根康弘
流行ったCM 大日本除虫菊・ゴン「亭主元気で留守がいい」
流行語 円高差益、究極、やるっきゃない、地上げ、グルメ、テレクラ、激辛

20年前 既に二人の子供がいて、忙しく仕事をしていましたねぇ。

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クマさんチームのお父さん、良かったですよ。の市川昭介さん逝く。

急に秋めいて涼しくなった気候と関係はないだろうが、作曲家の市川昭介さんが亡くなられた。都はるみさんの歌などの作曲よりも、その名前と顔を覚えたのは家族そろって歌合戦の審査員である。日曜の午後、大正テレビ寄席、ロッテ歌のアルバム、家族そろって歌合戦(TVジョッキーの時もあり)という順序で家族でTVを前にすごしていたような記憶がある。ニコニコ笑顔の優しい審査員、市川先生だった。 合掌(by モバイル)

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丹波哲郎さん 亡くなる

Tanba02 Tanba

若い人には霊界に詳しい怪しいおじさんみたいな印象かもしれないが、自分にはKEY HUNTER (キーハンター)という番組(1968~1970)で出会った格好いいボスだったわけです。KEYHUNTERは今では冬彦さんの母親役のイメージが強い野際陽子さんが、セクシーな女諜報部員だった番組です。あの千葉真一さんのデビューもそうして奥さんである野際さんとの出会いもこの番組だったわけです。この番組のボス役の丹波さんは元祖チョイ悪とも言えるかもしれません。ハードボイルドの主人公が似合う風貌の役者さんでした。
9月24日午後11時27分肺炎のため御逝去されました。行年84才 ご冥福をお祈りします。 合掌  丹波哲郎HP(葬儀案内)

「非情のライセンス」KEYHUNTER主題歌
作詞:佐藤純弥 作曲:菊地俊輔
歌 野際陽子
ああ あの日 愛した人の
墓に花をたむける あした
ああ きのう 恋して燃えて
きょうは敵とみかたの 二人
恋も夢も希望も 捨てて
命賭ける 非情の掟
ああだから ああもっと
もっと 愛して

(アァン ラムール オォン ラモール)
↑なかなか色っぽい声  (^_^;)

KEY HUNTER の HP より 画像借用しました。
上記HPはKAJITA巡査のハードボイルド2000 (Gメン75とキーハンター)というHPの一部です。

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平凡パンチ@地下鉄 表参道駅

Omotesando 雑誌「平凡パンチ」と「anan」の創刊号の表紙が地下鉄構内の柱に貼ってありました。
平凡パンチは1964年、アンアン(anan)は1970年。共にマガジンハウス社の雑誌。
企業広告なわけです。面白い雑誌はマガジンハウスからというようなコピーが一緒でした。
ポパイ、クロワッサン、ブルータス、ダカーポ、ハナコ、時代を象徴する雑誌をヒットさせてきた会社です。
こちらの感度が低くなっているのかもしれませんが、最近はマガジンハウス社にはそういうヒット雑誌が少ないような・・。

さて、ところでこの広告は誰に何をアピールしたいのでしょう。創刊当時の大学生は54歳~64歳 まさに団塊の世代(自分よりはちょっと上です)。「平凡パンチ シニア」「anan マダム」 でも発刊するつもりでしょうか?消費力のある世代放っておく手はありませんからね。
ただ、復活のためのキーマンだったかも知れない伝説のアートディレクター(一連の雑誌のロゴも彼の手になるものでした)堀内誠一さんは1987年に55歳でなくなられています。

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北斎,広重と並ぶ川瀬巴水

川瀬巴水(かわせはすい)(1883~1957)
今年テレビ「美の巨人たち」でやっていたときにへぇと思いながら見ていました。Kiba_1 そんな版画家がいたんだとその時知りました。
そして先週の金曜日(8月25日)朝日新聞の夕刊にニューオータニ美術館での展覧会の記事が1枚の絵と共に「一展逸点」欄で紹介されていました。
それが「木場の夕暮」(1920秋。渡邊木版美術画舗所蔵)という左の1枚です。一通りの紹介の後に「雨上がりの風情を描いて巧みであり、雪景も良く、夕景さらに良し。」
またこの絵の説明として編集委員の田中三蔵さんはこういう表現されていました。
「暮れなずむ川面の、橋や電柱の影は静かにたゆたう。」結びに「よく見ると橋の上に、人影がひとつ。作者のその後の旅と孤高の人生を思いやってもよいが、その孤影に仮託して、失われた風景への郷愁にひたるのも一興だろう。」と。
記事の題が「郷愁誘う失われた風景」

9月3日まで ニューオータニ美術館 (ニューオータニホテル 6階 赤坂見付駅)

大正・昭和の風景版画家 と 言ってしまえばそれまでですが、欧米人は彼の版画に、北斎、広重と並ぶ素晴らしさを感じて高く評価しているようです。
googleで hirosige utagawa=167,000 hokusai katusika=325,000 hasui kawase=134,000 と 東海道五十三次の広重と英語圏ではそう変わりません。ちなみに漢字だと 歌川広重=174,000 葛飾北斎=271,000 川瀬巴水=40,900 注目度の低さは歴然です。

Ochanomizu 彫師、刷師と呼ばれる人との分業制、旅に出てみたらと薦める版元がいて、正に江戸時代の浮世絵と同じ手法で製作された作品群は本当に素晴らしいです。左の絵はお茶ノ水を描いたもの。1926年ですから80年前の風景ということになります。
雪が激しく降っている様子がとてもよく描かれています。雪がぱらぱらと降っていたり、積もった雪景色はよく見ますが、こんな激しい雪が描かれているのは浮世絵でも風景画でも珍しいように思います。そうしてよく描かれています。
波打つように、うねるように、雪が吹き付けている空間がたくみに描かれています。他の絵でもそうですが、見えている形以上にその場の空気を伝えてくれます。温度や湿度、雨のしずくの大きさ、強さ。風・・。
80年前の日本の空気を伝えてくれる作品群は正に失われた風景への郷愁にひたらせてくれます。

※会場には版画作成の工程を映像でまとめた40分程のビデオが繰り返し流れていて、これも見ると1時間半くらいはあっと言う間に過ぎてしまいます。

※ 掲載した画像は 海外のHANGAのHPhttp://www.hanga.com/)の 
             KAWASE HASUI から。

※関連ブログ記事 LINK

「新版画と川瀬巴水の魅力」 ニューオータニ美術館 8/5 @はろるど・わーど
展示会と連携して開催された 「新版画と川瀬巴水の魅力」という講演会の内容あり。

大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展(後期)Art & Bell by Tora
今回の展示作品の主なものは ここ川瀬巴水展:ニューオータニ美術館 〔前期・後期)
 @美術散歩(ルネサンスから抽象絵画まで)

川瀬巴水との出会いばんどわごん
おなじようにTV「美の巨人たち」もご覧になっていた3年前からチェック済みの目利き(?)のブロガーさん

※わくわく日記では2004.04に川瀬巴水に触れていました。記事は「週刊新潮と春画」その中で海外サイトを紹介していて「川瀬巴水の作品も多数あります。」と突然触れています。今となっては覚えていませんが。(>_<)

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デパ地下の回転するお菓子

Sweetplaza
こないだふっと思い出したことがある。デパートなんかない田舎で育った自分は、お盆やお正月に祖父母のいる街にあるデパートに行くのはとても楽しみだった。その地下で回っていた憧れのお菓子売場。最近のお洒落なグルメのデパ地下ではみないなぁと思った。回転している100種近いチョコやキャンデーの中から好きなものを選んで量り売りしているあれである。
自分が子供の時、この袋にともらった袋に好きなだけ入れて良いのだが、どれもこれも美味しそうで、でも全部は入れられないのだ。迷っているうちにゆっくりと回ってまたまた美味しそうなのが登場してくる。たぶん目をキラキラさせてチョコレートやキャンディを袋に入れていたんだと思う。
最近のデパートではあまり見ないが、まだあちこち残ってはいるようだ。この台とお菓子とセットで「スイートプラザ」という名前で名古屋にある松風屋という会社の商品だということが判った。
昭和34年に大阪・心斎橋大丸、阪急本店、名古屋・名鉄百貨店の三カ所に納入されたのを最初に全国に広がっていったらしい。孫の喜ぶ顔が見たくて多少割高でも祖母が買わせてくれたことが今ならわかるのだが、10円玉を握り締めて駄菓子屋の前で何を買うか迷うのとは全然違う時間だった。クリスマスケーキがバタークリームのケーキでそれでも年に一度の大きなケーキが嬉しかった時代。自分が選んで買ったチョコやキャンデーを選んで食べる時間はもっと嬉しい時間だった。今の子供はどんなことが嬉しいことなんだろう。少なくともお菓子くらいではそう喜ばないような気はする。昭和の子供の話である。

「スイートプラザ」の発売の話は以下のHPからの出典。
  まぼろしチャネル の 番組表 
  6チャンネル0時の「懐かし雑貨店ANAQLO」の 
  第8回「お菓子販売台、回転す。」の巻

写真は長崎県 佐世保 玉屋デパートの1Fにあるラウンド菓子

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あの歌が聞こえる

深夜にTVのチャンネルを変えていたら荒井由実の歌をバックに漫画(アニメ)を放送していた。NHKだった。一週間遅れの再放送。歌の歌詞にあわせた小さな物語。今夜見たのは「魔法の鏡」マンガは牧野和子(代表作「ハイティーン・ブギ」)さんによるものだった。声優までは不明。この4月から始まったらしい。毎週水曜日の夜15分。
4月5日は Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)」サザンオールスターズ で 漫画は 石井いさみ(代表作「750ライダー」)さんによるものだったらしい。見たかった(笑)。
この後は
4月19日(水)22:45~23:00 「悲しくてやりきれない」ザ・フォーク・クルセダーズで 漫画は 池原しげと(代表作「魔女っ子メグちゃん」)さん
4月26日(水)22:45~23:00「季節の中で」松山千春で 漫画は 大島やすいち(代表作「バツ&テリー」)
HPは こちら 案内人は佐野四郎さん。

歌にまつわるエピソードを募集している
井上陽水「傘がない」オフコース「さよなら」中島みゆき「わかれうた」かぐや姫「神田川」佐野元春「SOMEDAY」松山千春「恋」チューリップ「サボテンの花」サザンオールスターズ「いとしのエリー」…
で 漫画家は・・永井豪とダイナミックプロ「デビルマン」赤塚不二夫プロ「天才バカボン」ビック錠「包丁人味平」わたなべまさこ「ガラスの城」吉田まゆみ「アイドルを探せ」北見けんいち「釣りバカ日誌」
少なくとも自分はこの番組に狙われた世代のようである(笑)。

エンディングにはこの画像が表示されていました。収録されているLP、EPの画像。

MisslimLP「Misslim」    Yasasisa

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ひとり暮らし

四畳半一間、朝夕食付(日曜除く)、俗に言う下宿。トイレも洗面所も共同。 3万円だったと思う。北海道の地方の学生下宿が大学生はじめてのひとり暮らしだった。

6畳一間、トイレ共同。コンロ一つの小さな台所付。俗に言う間借り。札幌で1万7千円。社会人1年生のスタートはそんな環境だった。風呂は銭湯、洗濯はコインランドリーだった。
どちらも電話は公衆電話が玄関についていた。下宿は呼び出しもしてくれて「惑く~ん、家から電話だよ~。」と焼酎好きのばぁさんが呼び出してくれたりした。
「サクラサク」「チチキトク」など電報がそんな暮らしの中で緊急連絡手段として活躍していた時代。昭和の若者のひとり暮らしのこんなスタイルはごく普通だったように思っている。

さて、平成の女子学生のひとり暮らし。ケータイとネットは必須。もちろんトイレもシャワーも。エアコンもついている。5畳+4畳のロフト 。洗濯機も中に置ける場所がある。徒歩10分に駅も学校も大きなスーパーもある。親のすねは細いので奨学金もバイトも足して自分でその暮らしを維持していくことになる。さてさて、どうなることやら。

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縁日の宝石箱

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金平糖を中心にいろんな飴を秤売りしていた店で買ってきました。金平糖は湿気の少ない砂糖菓子で自衛隊の非常食にも使われています。ポルトガル語のコンフェイト(confeito) が語源。作り方はなかなか手間のかかるもので一週間以上の時間をかけて作られます。詳しい話はこここここで。
mise 大きいのや小さいのがありますが、大輪、中輪、小輪と言うそうです。糖花とも呼ぶくらいですから呼び方も洒落ています。金太郎飴ほどではないですが手間をかけて模様にしている飴も混じっています。
沢山並んでいる中から、あれもこれもと掬ってきたのが上の写真です。100g400円。自分で選ぶ楽しさと、ありそうで珍しくなっている金平糖。縁日値段としては相場なのかも知れません。ついついパクパク齧っています。上品な甘さが意外に新鮮です。
祭りは非日常、プラスチックの刀(剣?)を持った小学生が走り回っていたり、「もう一回!」とくじに夢中の子供がいる小さな地元のお祭りでした。

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文化年齢

実年齢とは別に××年齢と言うのがよくあります。体力年齢とか最近広告でみる脳年齢とか。
夜勤明けに親類に訃報があり、通夜を過ごし、昨日は別の親戚で法事がありました。
その親戚が集まった中での昔話を聞いていると、どうも自分の文化年齢は五年から十年上のようだと思ったのです。
普通の昭和三十年代生まれは体験していない文化を経験して育っています。

運動会は足袋を穿いた。
蒸気機関車SLで学校に通っていた。
テレビの放送局は、NHKだけだった。
つぎの当たった服やズボンを着ていた。
解いて編みなおした毛糸のセーターを着ていた。
遠足のおやつにゆで卵を持っていった。

単に田舎者の貧乏暮らしというだけかも知れませんが(笑)

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レッド.スネーク.カモン

たわいもないあのマジックが印象深い ショパン・猪狩さんが76歳で亡くなられたそうである。合掌。小さなチョッキにダブダブズボンの太ったあの彼です。
自分の中では奥さんと二人で演じる「東京コミックショー」の芸をみたのは牧伸二が司会をしていた日曜のお昼「大正テレビ寄席」という番組だったように思う。
ちなみにショパン・猪狩さんのお兄さんはパン猪狩という「伝説のボードビリアン」と呼ばれる人で演芸史に名を残す人らしい。それでその弟なので「小パン」が「ショパン」になったようだ。テレビには向かなかないタイプの芸だったようだが、「花王名人劇場」には一度出たことがあるらしい。
「大正テレビ寄席」は昭和37.11~昭和50.12、ドンキーカルテット、「私ゃもう少し背が欲しい~」の玉川カルテット、帽子芸の早野凡平、マジックのゼンジー北京、「セニョール」のケーシー高峰、「びっくりしたなぁもう」のてんぷくトリオ、「な~んでか」の堺すすむ、「やんな」のWけんじ、「いいんじゃな~い」のチックタック、「ぴぴ、ぴーよこちゃん」のてんやわんや。「どうもすいません」の林家三平、「ヨイショット」の月家円鏡(橘家円蔵) 昭和の演芸人気を支えていた番組だったように思う。
あんな問題もわからないのか、だまされちゃって・・、仕事とはいえ危ないのに・・、そんな番組で失笑したり、苦笑したり、してしまうこともあるが、素直におおらかに笑わせてくれる、そんな演芸番組はもうでてこないだろうか。年老いた昭和の芸人の訃報にそんなことを思った朝でした。

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女の一代記

昨日が宮沢りえの瀬戸内寂聴「出家とは生きながら死ぬこと」、※1
今日が天海祐希の越路吹雪「愛の生涯~この命燃え尽きるまで私は歌う」※2
明日が米倉涼子の杉村春子「悪女の一生~芝居と結婚した女優・杉村春子の生涯」※3
フジテレビの女の一代記シリーズ 第一弾の三作なんだそうである。

凄く良い。凄まじい生き方をして一世を風靡した「女」を、今が旬の「女優」が全身全霊を込めて演じている。カメラや照明やメイクといった、裏方さんもきちっとした仕事をしているのだとは思う。それにもましていい仕事をしている女優さんの美しいこと。光輝いていること。知っているようで知らない昭和に咲いた花とも言える女性達の光と影を丁寧に描いたこのドラマシリーズは秀作だと思う。三つ作って土曜日に持ってきた明日の作品はそのトリなのだから、見ていない人も、せめて明日の作品だけでも見て欲しいと思う。

このシリーズの主題歌は1970,1980,1990,2000それぞれの年代で1位を獲得する曲を発表している歌手 中島みゆきさんの「命のリレー」(アルバム「転生」より)である。

※1原作 瀬戸内寂聴 場所
※2原作 岩谷時子 愛と哀しみのルフラン
  今日のラストに流れていた越路吹雪さん自身の歌と映像も良かった。
※3原作 中丸美絵 杉村春子―女優として、女として

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おばさんパーマ

カーラーをつけてキャップをした姿というのは、中年以上の女性の朝の姿の標準だったのはいつ頃まででしょう。カーラーを外し忘れていて恥ずかしい思いをする。なんていうサザエさんもあったようにおもいます。
お化けのQ太郎の正ちゃんのママも、ドラえもんののび太のママも、おそ松君のママも、バカボンのママも、ショートパーマと言うのでしょうか。同じ髪型です。「ALWAYS 三丁目の夕日」の鈴木一平君のお母さん(薬師丸ひろ子さん)も同じ髪型でした。

靴下につぎ、抜けたひじやひざにパッチが当たった普段着を自分も小さいときは着ていました。少なくとも自分が育った田舎は皆がそういう格好だったからそれが恥ずかしくはありませんでした。
物を大切にしていた時代。古くなったセーターを解いて、毛糸球にして・・また別のものに編みなおす。かなりの母親が家でそういう裁縫をしていた時代。そうしてその母親たちのヘアスタイルがおばさんパーマでした。

柴門ふみさんが 「わたしの幸福論 愛こそすべて」でこんなことを書いていました。

近頃の母親の顕著な特徴は「覚悟がない」「ステージに戻りたがる」「母だけという地位に安住しない」があげられると思う。

ショートパーマヘアや奥さんファッションと言うものはなくなってしまって、母親とか主婦とかの区別はヘアスタイルやファッションでは区別がつかない。子供は居ても独身時代の元のステージに戻りたがっている。それがファッションに現れていると彼女は分析している。ただ、そうして多少なりとも子供の手が離れて外にでることで(無意識にせよ)恋の機会が増えてその期待が女性をイキイキ美しくさせるなら誰がそれをせめることができようか?というのが柴門さんの論調で、「母であるだけ」の自分に納得してはいけない。というタイトルのコラムです。わずかな育児休暇や出産休職で0歳児を保育所に預けて結婚しても夫婦共働きのままと言う例もすくなくありません。

家庭に縛り付けられる必要はないと思うけれど、事情が許せば小学校低学年くらいまでは「おかあさん、ただいま」と帰ってくる子を迎える家庭であってほしいと思うのは保守的と言われてしまうのでしょうか?家事が便利になって生活が豊かになって裁縫の時間や洗濯の時間が少なくなって、主婦になる覚悟も希薄なものになっていて、日本の母親が変われば子供も変わって、日本人が変わっていっているのかも知れません。「ALWAYS 三丁目の夕日」の六子さんの母のような人もまた、おばさんパーマと同じようにもう日本で見かけることはないのかもしれません。

P.S. 柴門さんの引用はやや誤解を生むかもしれませんが彼女のスタンスもまた納得できるものです。帯のコピーを紹介しておきます。

結婚生活を続けるカギは、家事より愛である。
子どもが親に求める神のような無心の愛に出会うと、私はいつも絶句し、感動し、幸福に満たされてしまう。
結婚しても子どもを産んでも、女の人生はいつも花のステージでありたい。

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マリ リ~ン♪

本田美奈子さんが亡くなられた。38歳の若さだという。アイドルでデビューし、おへそを出してSEXYに細い腰を振りながらマリリ~ンと歌っていた姿が自分には印象深い。
抜群の歌唱力で、その後ミュージカルやクラッシックにも挑戦するような幅広い活動をしていたことも断片的に知ってはいるが、愛くるしい笑顔で歌っていた頃の印象が強い。
状況はまったく異なるが かのマリリン・モンローは16歳で芸能界に入り36歳で亡くなっている。「1986年のマリリン」の前にデビューしていた本田美奈子さんも同様に約20年の芸能生活。同級生でもあった南野陽子さんが「人一倍の努力家で頑張っていた彼女がどうして・・」と涙に声を詰まらしていた。一生分の頑張りを38年間でやってのけた昭和の日本のマリリンに合掌。

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小川宏アナウンサーの投稿

5月22日の朝日新聞の朝刊の「声」欄に「名アナに学ぶ沈黙の雄弁さ」という投稿が載った。投稿者はアナウンサー小川宏さん79歳。え?!と驚いた。

朝日新聞の投稿欄は時折著名人が寄稿している。最近の野球中継を評してアナウンサーも解説者もしゃべり過ぎで花鳥賊という記事。アナウンサーなのに野球殿堂入りした元NHKの志村正順アナウンサーは敬遠のフォアボールの音を四つ聞くまで何も喋らず「お聞きのように敬遠のフォアボールです」と言う伝説の名中継を紹介して、学ぶところはないだろうか。と問いかけて投稿の記事を終わっている。

ogawa 小川宏さんはスポーツアナではない。バラエティのアナウンサー。 昭和三十年から十年間NHKでの「ジェスチャー」の司会が記憶の中にある最初の姿(左の番組写真中央 左は宝塚の水の江滝子さん、右は落語家柳家金語楼さん)。フジテレビに移籍し昭和四十年フジテレビ「小川宏ショー」の司会者になり昭和五十七年まで続け、今のワイドショーの原型を作った人である。

この記事を書くにあたり調べてわかったのだが早稲田大学建築学科を出て間組に入社という経歴で、上司とそりが合わずに止めて、ふとみた新聞の募集広告でNHKのアナウンサーになったということらしい。それでも日本の放送史に欠かせぬ名アナウンサーである。「正直に言えば、話すことが不得手だった私」とインタビューで語っている。

機関銃のような語り口で実況中継を話せるのがプロのアナウンサーというイメージは、あの古舘伊知郎さんがプロレス・F1で作り上げたひとつのアナウンサースタイルかもしれない。プロレスというスポーツショーを盛り上げるために興奮していない人も引きずられるような、普通に見えることもすごいとある意味勘違いさせるようなあの放送。

あの語り口に憧れてアナウンサーを目指した若い人も少なくないと思うし、バラエティ番組でタレントに実況中継をさせる場合も、古舘スタイルが正解になっている。あれもひとつのあり方。でもアナウンサーが何かを視聴者に伝える場合に、何を見るか、何を聞くか、視聴者のそれぞれの感性に委ねるような余白を残した実況中継放送もひとつのスタイルとしてあっても良いのではないか。

小川宏さんは、うつ病というやっかいな病気をほぼ10年かけて克服されて元気に過ごされているようである。テレビ創世記から携わってきて一時代を築かれた人の言葉はそれなりに重みがある。昨今のワイドショーをどのようにご覧になっているのかななどとも思った朝日新聞への投稿記事だった。

参考LINK

私の写真館「小川宏」 < 正論平成16年1月号 < 正論

NHK アーカイブス「ジェスチャー」 < NHKアーカイブス

うつを克服した人「小川宏さんの体験談」 < うつ・不安啓発委員会公式HP

老いを楽しみ老いを生きる うつ病を通して < BIGLOBE健康

老いを楽しみ老いを生きる 良老年になろう <  BIGLOBE健康

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GWの「NHK music box」

どういう基準かは不明ですがあの「google」で上位10個くらいの中に表示される記事があります。「NHK MUSIC BOX」もそのひとつ。先頭に表示されます。先日も深夜3:00過ぎ!にアクセスが増えていて調べて見ると、いつ放送されるかわからない、「NHK MUSIC BOX」がその時間に放送されていたことがわかった。GW中も放送されるようです。

偶然に見ていた人が、「え?この番組は何?」とインターネットで調べたのでしょう。調べたくなる気持ちはわかります。どんな番組かは百聞は一見に如かず。GWに何どか放送されるようです。起きていてとは言いませんが、ビデオに録画しておいて見てみる価値はあるかもしれません。事件や何かであっさり予定が変わる場合もあるのでご注意ください。NHKの番組表より 調べた情報です。とりあえず今夜というか明日の朝放送される60年代は・・ちょっと昔過ぎますか(笑)

4月30日 03:11 MUSIC BOX -60年代 邦楽

4月30日 04:11 MUSIC BOX -1980年 邦楽-(~04:30までです)

5月 3日 03:45 MUSIC BOX -70年代 邦楽

5月 4日 03:35 MUSIC BOX -80年代 邦楽

ヨーロッパオペラとか京都とか、NHKならではの番組もいろいろやっているようです。邪魔にならないBackGroundVideoとしてNHKの深夜番組は以外におすすめかもしれません。

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銀河鉄道999 の フィギュア400円

999 いつになく過激な(?)画像ですが(食玩)というかコンビニで売っているフィギュア、400円しますがそれなりです。へえとつい買ってしまった。

一大ブームになってゴダイゴが主題歌をうたった映画が作られたのは1979年(昭和54年)。メーテルと哲郎です。これはモノカラーというバージョンで、フルカラーだと こんな感じだったようです。個人的には主人公もよいですが、この脇役二人も魅力的です。上記の機関車はかなり細かいです。発売元はメディコスという会社。

奈良橋陽子・山川啓介 作詞

さあ行くんだ その顔を上げて
新しい風に 心を洗おう
古い夢は 置いて行くがいい
ふたたび始まる ドラマのために
あの人はもう 思い出だけど
君を遠くで 見つめてる

そんな歌詞ぼ主題歌でした。

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BitterSweet Samba

nippon1

nippon2

画像はクリックすると大きくなります。

聞いたことがあるパーソナリティはいますか?

タイトルの意味は クリックすればわかります。

 BitterSweet Samba HERP Alpert

懐かしのオールナイトニッポンキャンディからの

資料コピーでした。

本文中LINK TEMPO HOME PAGE

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究極のマンガ200冊

manga200-1smanga200-2s
雑誌 SIGHT vol23 2005春号からの コピーです。1960~日本の漫画大集合で深く語られているのですが、見開きの頁に並んだマンガのまぁ凄いこと、その感動をお伝えしたく張ってみました。クリックして拡大してみてください。懐かしい一冊はどれですか?

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銀座のクラブ

kakoさんの「私の知らない世界」を読んで思い出したことがありました。もう20年近く前に一度だけ銀座のクラブに行った事があります。そのときは自分は関東の会社で派遣で働いていました。たまたまの巡りあわせで、北海道から会議で来ていた上司である札幌の支店長のお供で、銀座のクラブに行くことになったのです。東京の本社の役員の方と、取引先の方も一緒で、場としては支店長が接待を受けるという感じの場だったように思います。

 まず、「じゃ、タクシーで行くよ」と言うのにそのとき自分は「なんて贅沢な」と思ったものでした。まだ電車も動いている時間なのに・・と(笑)。タクシーは常識。運転手つきの車で乗り付けるという形が銀座のクラブへの移動手段。見送りも当然お車に乗って帰るのを見送るわけです。そんな話を聞きながら店に着きました。
 僕を含めて5人か6人全員男の客。それにお店の女性が4~5人。楕円形の席に、ほぼ男女交互に座ります。高そうな革張りの椅子、キラキラきれいなお店の様子。それにもまして、女性の皆さんのまぁ綺麗なこと。美しいこと。客層は若くて30代半ば、50代以上がメインという感じです。これは場違いなところに来てしまったなと思いつつも手際よく水割りが作られ「乾杯!」。
 私と支店長の間に座った女性も、笑顔の素敵なそれこそ米倉涼子さんをもう少し優しく知的にしたようなイメージの女性(あくまでもイメージだけです。具体的なものは何も覚えていません)でした。「お若いですよね。年配の方よりも若い人はやっぱりキラキラしていますものね。私と同じ。」等と言いながら、支店長よりも、どちらかと言えば僕のほうに何かと話し掛けてくるのです。基本的には聞いてくることに答えているだけなのですが、それでも会話をしているような気分になっていました。「へぇ、そうなんだ」「うふふ、面白い」なんて非常にタイミングよく、少しだけ過剰な反応でその気にさせられていたんだなと、今はわかります。
 そのうち、さりげなく自分の太腿に、彼女の手なんか添えられたら、「あいやぁ~」という感じで、「ところで、隣りの支店長さんはどこのご出身?あ、小さな声でね」「おいおい、なんだかそこの二人仲良すぎないか?」などという外野の声にも「ごめんなさい、ちょっとお仕事忘れてました。若い人と話すのひさしぶりで」なんて答えながらも支店長の趣味やら、年齢やら自分に聞いてました。
 さて、彼女の仕事は実は、ここからでした。「あ、ごめんなさい。なかなか若いけれどしっかりしてらっしゃるし、素敵な社員さんですね。支店長さん。」と支店長に鉾先を変えてから。
 「支店長さんは北海道の支店長とお伺いしましたけど・・、出身も北海道ですか?」「あら?違うんですか?じゃあどちらでしょう。南の方のような気がしますけど・・、ひょっとして正反対の沖縄とか?」「そうなんだよ、ずばり正解。よくわかったねえ。」僕から聞いたネタを巧に使って、楽しい会話が続いたのでした。時折僕にナイショよと言わんばかりの軽いウィンクしながら。そのウィンクだけで、僕はニコニコしていたのですから、チョロイものです。
 店を出てから支店長は「勘の良い女性だったねぇ。それに興味のある範囲が僕とおんなじでさぁ。話はずんっじゃんったよ。いやぁ楽しかったなぁ。銀座のクラブだからツンとしているのかと思ったら違うねえ」とすっかりご満悦。「今日の日経にさぁ・・」 という話に「あぁ、どうなんですか?あれ。ひどい話ですよね」とちゃんと世間話として会話についていける女性でした。引き出しはちゃんと沢山持っていて、どの引き出しを開ければ良いのかを僕に事前リサーチした。という所だったのだと思います。
 ちなみに、その彼女はママでもなく、4~5人来た女性の中では位としては真ん中か、それより下という感じでした。接客というのはこういうことかととても感心したのを覚えています。

 「何か面白い話ない?」「カラオケで何か歌って」「飲まないね。もっと飲もう」「飲んでいい?」そんなパタンの会話しかない、アルバイトだかフリータだかわからない女性しかいない、安いスナック位しか知らなかった自分には同じお酒を飲む場所でも「自分の知らない世界」だと感じた20年前の「銀座のクラブ」なのでした。

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1972年(昭和47年)のテレビ番組

tv3s
tv2<tadaimaheikeタイムスリップグリコ思い出のマガジン 1972年平凡7月号です。


誓いのフィニッシュ 志麻みずえ 三ツ木清隆
ウルトラマンA 高峰圭二 星光江
キーハンター 沖雅也 千葉真一 野際陽子 宮内洋
花嫁はおかみさん 野村真樹 倍賞美津子 新藤恵美 天地真理
地の果てまで 石橋正次 河原崎長一郎 桜木健一 佐々木剛
君たちは魚だ 中野良子 近藤正臣
木枯らし紋次郎 上条恒彦 中村敦夫
は~い ただいま 吉永小百合 堺正章 由紀さおり 西真澄 奈良富士子
新 平家物語 志垣太郎 五十嵐じゅん(中村雅俊夫人) 和泉雅子 原田大二郎 若尾文子
大upからは 上記の名前も記事の中から読み取れました。

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1976年の一眼レフカメラ

contaxRTSMinoltaXEcanonAE1 contaxRTS MinoltaXE CanonAE1  それぞれ拡大してみてください。タイムスリップグリコ 思い出のマガジン 1976年POPEYE創刊号の広告からです。これが懐かしい、新しいのを買って持っていたという方は50代以上でしょうか? このカメラで写された赤ちゃんがもう28歳になっています。

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タイムスリップグリコの豆本は凄い!

hyosis.jpg
マージさんの「ごたまぜのひきだし(タイムスリップグリコ「思い出のマガジン」)」でも紹介されていたグリコのタイムスリップグリコ、今度は豆本。315円アーモンドグリコ二粒。一番なじみの深い「平凡(歌本つき)」をゲットできた。三つ勝って、残りはポパイとオリーブ。

1972年昭和47年の7月号。ナルシソイエペスさんの写真でおなじみ東京音楽アカデミーの広告も歌本の裏に。(歌本の解説は省略します。)ハガキと100円玉で大きさがわかると思います。
表紙のアップと、見開きページを載せました。小柳ルミ子さんのデビューの年、左側はゴールデンハーフ。クリックしてみてください。それぞれ大きくなります。実際には広げても掌にのる大きさ。マージさんも書いてましたが、ルーペがないと字は読めません。ちなみにここに載せた画像はスキャナを使いました。
dec2004/hyosiLdec2004/rumikos

さて今回の平凡の中でわかりやすく懐かしかった記事をもうひとつ紹介します。針すなおさんによるドラマ「ありがとう」の収録風景。です。クリックしてみてください。大きく見る事が出来て同じ世代の方は懐かしく思い出せるのではないかと思います。

dec2004/arigatos


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明治MeltykissのBGMは文部省唱歌

meltykiss.jpg
明治製菓の季節限定チョコ MeltykissというチョコのCMのBGMは懐かしかった。娘はしらないと言う。

 昔の文部省唱歌なのだけれど、どんどん見直されているからしょうがないのだとは思う。 

   さ霧消ゆる 湊江の 船に白し 朝の霜
   ただ水鳥の 声はして いまだ覚めず  岸の家

 メロディは冒頭のHPでも流れています。歌詞もセットならここ

歌詞では漢字がよくわかりませんでした。 狭霧 さ霧 小霧 港え 港江 湊え 湊江 どれが 正解やら・・。
で、タイトルは「冬げしき」。明治製菓のHPのBGMは文部省唱歌がメドレーで流れていました。あちこちの最低気温が氷点下だった今朝の北海道からでした。

文中LINK top
明治製菓 hp
あだかずホームページ

追記:漢字や歌詞の一部に誤りがあったのでLINKを含めて修正しました。

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お茶くみ

 poohpapaさんの「悪徳不動産屋の独り言」お茶くみの話を書かれていました。自分の娘は素直な気持でお茶をいれてあげられる優しい女性になってほしいという娘さんへの思い入れを、おなじみの一級品の書きっぷりで一般論にまで昇華させた一気によませるお話です。さぁこの話題ならコメントいれやすいでしょと計算された突っ込みどころ満載の文章に思わずコメントを入れてしまいました。さすがです。

さて、子煩悩ぶりをふりまきつつの本筋ですが、気配りということの具体例としてお茶汲みという行為は適切ではない時代になってきているような気がします。海外旅行へ行く人や引越しでいなくなる人が隣近所であれば餞別を渡すのが礼儀、常識なんて言うのは過去の風習になりつつあるのと同じように。
 そもそも職場にお茶用のmy湯のみを用意してあるという職場もかなり少なくなっているでしょうし、マイカップも使い捨てにとって代わられている職場が多いように思います。お茶くみって何のことですかという時代はそう遠くないような気がします。
 美味しいお茶を率先して入れられるようにならなきゃだめだと気配りのできる女性になって欲しい想いを綴っていらっしゃるのですが、二人の先輩女性がいる職場で働き出して、みんなにお茶を入れ始めたら先輩女性に「そんなこと皆にしなくていいのよ!課長だけで。」。先輩男性は「XXちゃんありがとう、やっぱり入れてもらったお茶はおいしいねぇ。特に若い子だと」なんていう状況になったとしたら、それでも信念を持ってみんなにお茶を入れ続けるべきなのでしょうか?
 これはかなり強い意志がないと、きつそうな気がします。「XXちゃん、ごめんな。嬉しいけどもうお茶はいいよ」とチラチラ先輩女性見ながらの先輩男性に言われてしまいそうです。poohpapaさんのお嬢さんの職場がそういう職場だったらどうしろと言うんでしょう?私は「基本は自分で考えろ。父さんの話はそういう考え方もあるというスタンスで聞きなさい。それで失敗したら自分の責任、うまくいったらお父さんのおかげ。ずるいと思うかもしれないけれど、人にアドバイスもとめるときはそう考えて動けば後でお互いいやな思いはしなくて済むから」と・・
 ただ、こんな時代でも、毎日30分も早く来て自分の部署の10人くらいの机を皆が出社しないうちに毎日拭いてくれている女性もいます。気が付いていない男性社員もいます。「残業代も出ないのに偉いね。」と聞くと「私は皆さんのようにお客さんからお金もらえるような仕事はできないからせめてその人たちに気持ちよく働いてもらえればと、自分ができることをしているだけです。」と答えてくれました。
 自分の娘がこういう娘に育つのが良いのか、同期の男性社員を叱咤激励しながら引っ張っていく「女にしておくのはもったいないような女性(慣用句として使います。他意はありません)」に育つのが良いのか、それはそれぞれの個性であり、自分は多くを望みません。大したDNAも与えていませんしね。
 ただ、自分で決めたら後でタラレバで後悔はしないこと。結婚する相手は「この人とだったら一緒に苦労しても良い」と思える人と結婚して欲しいこと。親と同じ過ちは繰り返してほしくないなぁ(笑)と願う程度です。「気合だぁ~」と恥も外聞もなく自分の娘への愛情表現100%のアニマル浜口さんがチョッピリ羨ましい平凡な父親の独り言でした。

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海洋堂の三国志は凄い!2

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趙雲 わずか6cmあまりの人形です。川本喜八郎さんが作られた人形を出来うる限り再現した海洋堂の傑作シリーズかもしれません。着物や防具の模様。人形の表情。ICの配線も肉眼でやる中国のスーパー女性職工さんによるのであろう極微細彩色はおみごとである。

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三国志自体の人気キャラならこの二人、関羽と張飛。コンビニで300円で販売中。象牙風の無彩色が当たっても僕のせいではありませんのであしからず。

諸葛孔明の写真と販社のHP紹介 海洋堂の三国志は凄い!

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思い出すHP、泣けるHP、はまるHP

密かに手に入れて、チビチビやっていたお気に入りのいいお酒を、飲んでみる?と勧めるときのような、会社の同僚や家族もしらない 行きつけのお店に 誰かを連れて行くときのような、そんなちょっぴり複雑な心境だったりします。 「青春音楽館」というHPをご存知でしょうか?

コンセプトは・・

   時には思い出ゆきの 旅行案内書にまかせ
    “あの頃”という名の駅で下りて
    “昔通り”を歩く   (中略)
   自分の人生の中では  誰もがみな主人公
   時折思い出の中で あなたは支えてください
   私の人生の中では 私が主人公だと 

これがさだまさしの歌の歌詞だとすぐわかった人は、紹介したHPを気にいってもらえると思います。

profileとして紹介されている文章をまるごとご紹介します。

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 「いつでも青春音楽館」は、昭和30年代生まれの当青春音楽館のサイト設置・管理運営者であるマスター(館長)が青春時代を過ごした1970年代から1980年代にかけて、ラジオやテレビなどから流れていた、ポピュラーなフォーク・ニューミュージック系を中心とした楽曲の中から、館長の独断と偏見と好みで選曲して、館長の個人的な解説エッセイ(雑文)に、MIDIのBGMと、歌詞を付けたページで構成するサイトです。

 「いつでも青春音楽館」の曲の多くに、懐かしさを感じる世代は、現在、多分、仕事や家事、子育てや親の介護などの多忙な日常生活の中で、自分のための時間を失って…自分自身をも、見失いがちになっている…かなり、お疲れの世代だと思います。

 でも、まだまだ、お疲れさま~!で終るわけにはいきませんよね。(笑)

 みなさんには、このサイトの中の「昔通り」をゆっくりと巡り歩いてもらって、輝いていた青春時代の「あの頃」にタイムトリップしながら、「しみじみ」「ほのぼの」とした、ひとときを過ごし、明日への気力の充実と活力を取り戻して、リフレッシュして、現在(いま)の世界に戻り、活き活きとして自分が主人公の物語を書き綴ってほしい。
 そのような願いのもとに、いつでも青春音楽館サイト構築を目指していきます。
 もちろん、館長である私自身のためにも…。

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このプロフィールが決して大げさでなく、BGMを聞きながら館長さんの綴ったその曲にまつわる散文を読んでいると、なぜだか泣けてくる曲も少なくありません。個々の曲の中身を見なくとも、曲の一覧を見ただけで「あの頃」の「昔通り」にたどり着いてしまったと感じると思います。

「青春音楽館」

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セブンイレブンでキャンディーズフィギュア

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セブンイレブンの30周年記念キャンペーン。対象商品1本につき1個セブン-イレブンオリジナルキャンディーズフィギュアをもれなくプレゼント!(全12種類)9/20(月)~景品なくなり次第終了 ということで 写真はアンドゥトロウ。袋には・・
「1973年「あなたに夢中」でデビューした伊藤蘭、田中好子、藤村美樹の3人のメンバーから成るキャンディーズ、デビューから30年たった今も色褪せない新鮮な魅力をキャンディーズプレミアム限定フィギュアとして企画・再現しました。セブンイレブンもちょうど30周年、この記念限定フィギュアを全国の皆さんにお届けいたします。」
と書かれていました。年下の男の子なんかは、あぁこの振りだったと懐かしかった。です。キャンディーズはちょっぴりお姉さんでした(笑)。

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狼少年ケン

ボバンババンボン ブンボバンバババ ボバンボバンボン ブンボバン ・ 缶コーヒーBOSSのTVCM草薙君がやっているやつの冒頭 歌が流れる。 それが ボバンババンボン ブンボバンバババ ボバンボバンボン ブンボバン・・ これが 狼少年ケンという懐かしいアニメの主題歌に違いないと・・  がっちり掴むぞ太陽! 嵐はまたくる!歌えよ(ケン!) 叫べよ(ケン!) 狼少年ケン という奴である。 捜したら 思わず口ずさんでしまう歌 満載のHPが・・ そうしてやっぱり そうでした。
人間の記憶の素晴らしきかな です。大学時代に懐かしいと皆で歌った記憶はあるけれど、それいらい四半世紀は封印されていた記憶が蘇えってくるのですから。ボバンババンボン ブンボバン なのである。  

本文中で紹介したLINK
 昭和30年代同盟 懐かしい感じの遠足の写真がありました。

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NHK 思い出のメロディ

日本と中国のサッカーの決勝戦の裏番組でNHK 第36回思い出のメロディという番組をやっていた。最近のヒット曲を放送する番組よりも知っている口ずさめる曲が多いのは歳のせいかとも思うが久し振りに思わぬ曲がNHKで聞けた。
大野克夫バンドによる 「傷だらけの天使」のテーマ ヘッドホンをして新聞紙をナプキン代わりに襟元につっこみ、コーンビーフを丸かじり、牛乳瓶をビンごと咥えて蓋を口で取って飲み、トマトを齧り・・ あの映像に流れていたあの音楽である。ちなみに「太陽にほえろのテーマ」「コナンの主題歌」も演奏していた。NHKも随分さばけたものと感心した。民放からビデオまで借りて放送していた。
山崎ハコ「織江の唄」リリィ「私は泣いています」も本人がNHKに生出演して歌っていた。彼女たちの歌をエアチェックしてカセットに録音して聞いていた世代が番組を作る上で重要なポストになりつつあるのだと思う。いろんな形で芸能活動を続けているのであろう出演者たちは往時のままのスタイルだったり、声の張りだったり、プロとしての素晴らしさを見せてもらった。ただ一人の例外 天地真理を除いて・・。

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NHK MUSIC BOX

深夜というよりも明け方。NHKでMUSIC BOXという番組をやっている。フジテレビでやっていた僕たちの19XXとほぼ同じコンセプトだと思う。ジャンル別の音楽とその歌が流行った時代の映像とを流している。BGVとしては最高である。今夜は1970年代日本のニューミュージック 結婚しようよ 岬めぐり ヒーロー ・・ なんていう曲が流れてつい見入ってしまう。JAZZを特集していた時もあり