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樹木希林さんへの弔辞 是枝監督

樹木希林さんという素敵な女性が亡くなられて、葬儀では是枝監督の弔辞を、橋爪功さんが読み上げました。全文を紹介します。著作権の問題があるのかもしれませんが、愛情あふれる敬意に満ちた、監督の映画のような素敵な弔辞です。

 弔辞というのは、人の死を悲しみ悼むもので、告別式は文字どおり別れを告げる場だと辞書には記されています。希林さんが重い病を抱えていた以上、いつかはこの日が来るのだと覚悟はしていましたが、それでもやはりこんなに急にお別れを告げなければいけなくなるとは正直思っておらず、途方に暮れています。もう随分前に実の母は他界しておりますが、二度母を失ったような、いまはそんな悲しみの沼の中にいて、なかなかそこから抜け出せそうにありません。それだけ私にとってあなたの存在は特別だったのだと思います。
 希林さんと私が最初にお会いしたのは2007年のことですから、まだ10年ちょっとのお付き合いです。ですから私が語れるのは、あなたの人生の、そして役者としての長いキャリアの、最後の数ページに過ぎません。そんな私が弔辞を読むなどという大役を担う資格があるのか、本当に心許ない限りですが、それでも悩んだ末に、お引き受けすることにしました。
 いまこの弔辞を読んで頂いている橋爪功さんは、希林さんとは文学座の研究所の同期で、お互いを橋爪君、チャキと呼び合う、旧知の間柄です。一度、お二人に夫婦を演じて頂いたのですが、撮影の合間に、鹿児島で夕食をご一緒したときの、かけあい漫才のような言葉の応酬、カウンターに並んで座って天ぷらを食べながら、希林さんの大好きな、慰謝料や整形の話に笑い、その合間に演劇論が、そこだけは鋭く語られる、そこには50年を超える歳月をかけて培われた、お互いの人間性や芝居に対する尊敬が滲み出ていて、心の底からうらやましかった。いつか自分も、お二人とこんなやりとりが対等にできる関係になりたいと、そう思いました。その願いはとうとう、叶えられずじまいでしたが、それでもこうして私の書いた弔辞を橋爪さんに代読して頂くことで、少しだけ二人の間に割り込ませて頂いたような、そんなうれしい錯覚を覚えています。
 希林さんと私とはおよそ20歳の年齢差がありますが、二人の関係は失礼を承知で言うと、ウマが合ったということに尽きるのではないかと思います。そして何より、出会いのタイミングにご縁があった。2007年というのは、私が「歩いても 歩いても」という、母をモデルにした映画の準備に入った年であり、希林さんはその前年に、盟友だった久世光彦さんをなくされていました。もし久世さんがご存命だったら、希林さんは果たしてともに作品を作る演出家として、私を選び、導いてくれただろうかと、時折、そんな考えが頭をよぎりました。久世さんがドラマ化しようとして実現できなかった、東京タワーの、オカンの役を、あなたが映画で演じられたという経緯を考えると、そこにはやはり、果たせなかった思いのようなものを、感じずにはいられないからです。もちろん、希林さんが私の背後に久世さんの姿を重ねるようなことは、ただの一度もありませんでしたが、私はあなたと久世さんの間に、確かに存在し、一度は断ち切られた縁の一部を受け継いだような、そんな気持ちでいたのです。
母との時間、取り戻したくて
 なぜ希林さんが私のことをひいきにしてくれたのか、よくわかりませんでしたが、もしかすると、私がテレビ出身で、映画の世界になんら師匠や頼れる先輩を持っていなかったことが、その理由の一つだったのかも知れません。そんな孤児のような私を不憫に思い、気に掛けてくれた。だから映画が公開されるたびに、私本人ではなく、プロデューサーに電話をして、客の入り具合を確認し「じゃ、次も撮れるわね。よかった、よかった」と心配してくれた。出来の悪い息子を案じる母からのこの電話は、最新作までずっと続きました。希林さんには、ずいぶん色んなものをごちそうになりました。あなたはお店に入ると、「コースを全部食べたいんだけど、量は半分にして」とシェフに指示されたり、お寿司屋で「どうでもいい、つなぎみたいなの要らないから、美味しいの半分だけ出して」と無理な注文をされました。そして森繁久弥さんや渥美清さん、久世光彦さんの思い出話を、その人たちの仕種や言い回しを上手に真似ながら、私に語って聴かせてくれました。独り占めにするのはもったいないくらいの、その貴重な話に耳を傾け、私はただただ、相づちをうつだけでした。あなたはお店を出ると、「いくらだったと思う?」と、また、いたずらっ子のような言い方で笑いかけ、「安いでしょ? だから昼行くのよ。夜だと高くって」とそんな時に見せる、庶民的な顔もまた、とても魅力的でした。
 私にとってあなたとの時間は、それ自体、とても楽しいものでしたが、やはりどこか人生の中で、実の母と過ごせなかった息子としての時間と、その後悔を、何とか取り戻したい、やり直したいという、叶わぬ思いを、希林さんと過ごすことで埋めようとしていたのかも知れません。口にはしませんでしたが、そんな私の気持ちなど、観察眼の鋭い希林さんのことですから、はなからお見通しだったのでしょうね。希林さんに母を重ねて映画を作り、希林さんと食事に行き、話すことで、私は私の母への喪の作業を少しずつ進めることが出来たのでしょう。いま、その作業の途上で、私はもう一人の母を失い、再び喪の作業を始めることになってしまいました。
 さきほどウマが合ったという、生意気な言い方をさせて頂きましたが、それでも全ての価値観が一致したわけではありません。好きな脚本家として、向田邦子さんの名前を真っ先に挙げた時、あなたは珍しく顔をこわばらせ、「へぇー、どこが?」と私の顔を正面からのぞき込みました。この希林さんの「へぇー、どこが?」「へぇー、なんで?」という攻撃にあった時に、どれだけ説得力のある切り返しができるかで、その人の評価は決まります。冷や汗をかきながら、向田脚本の魅力を語ったのですが、「あたしたちと仕事しなくなってからの作品ね」と、あなたの発したその一言は、安堵と寂しさの同居した、不思議な響きを持っていました。向田さんの気質に辟易としながらも、久世さんと一緒に、テレビで思い切り遊んだという自負と、その後、病を得た向田さんがシリアスなドラマやそして文章の世界に向かわれたことを、あなたがどう思われていたのかは、私なりに想像できるつもりでいます。流れて消えて後に残らないテレビやコマーシャルの潔さは、おそらく何者にも拘泥しないというあなたの粋な哲学と、それこそとてもウマが合ったのではないでしょうか。2005年にあなたが向田さんと同じ病を得て以降、後に残る映画に仕事の中心を移され、ちょい役で独特の印象を残すというスタンスから、主役も含め、作品を背負うような役を引き受けるようになったこと。そこにどのような心境の変化があったのかを、私は直接お聞きすることはしませんでしたが、私もあなたのその変化を追いかけるようにして、映画の仕事を依頼させて頂きました。しかし、もしかすると、私との出会いと作品作りが、あなたの足取りや振る舞いから、その魅力である、軽やかさを奪ってしまうのではないかと危惧した時もありました。でもそれはどうやら杞憂だったようです。テレビの連続ドラマはもう体力が持たないと言いながら、それでもワイドショーや花火大会の中継などに請われれば出続けた理由を尋ねた時、自分が芸能人として、今の時代に、どれだけ意味や価値があるのか、試してんのよ、とあなたは答えられた。そんなフットワークの軽さと雑味をあえて捨てようとしないあなたの姿勢は、テレビ出身の私にはもう一つの大きな魅力として映りました。だからこそ、あなたの訃報を伝えるニュースの中で、色んな人があなたのことを女優、大女優と呼ぶことに、居心地の悪さをちょっとだけ感じているのです。そのくくり方は、実はあなたの存在をむしろ矮小化してしまうのではないかとさえ思います。きっと希林さんも、そう感じているのではないですか。私は器用じゃないから、私はそんなに引き出しが多くない、これはあなたの役者としての自己評価で、仕事を断る時に、よく口にされました。「海よりもまだ深く」という映画の時も、一度受け取った脚本を持参して事務所を訪れ、抵抗する私の前で何度もこの言葉を繰り返し、「無理」「是非」「無理」と、机の上を、脚本と言葉が、1時間も行き来したことがありました。しかしそんな逡巡はいざ撮影が始まってしまうとみじんも感じさせず、役を必死で生きようとされる。控室で衣装に着替え団地の窓辺に正座をして、真剣に台詞を覚えようとしている、新人女優のようなあなたの姿が、今も目に着いて離れません。
死ぬ役を演じさせてしまった
 そんなあなたが、昨年の春に「万引き家族」への出演を依頼した時は、まだ脚本も出来上がっていなかったにもかかわらず、あっさりと引き受けてくれました。なかば断られることを覚悟していた私は、あなたの態度に安堵と同時に不可解さを感じていたのです。撮影が終わり3月30日に事務所を訪れたあなたから見せられたPETの画像は、がんの転移を示す、黒い小さな点が、全身の骨に広がっていました。寿命は年内がめどだと告げられており、「だから、やっぱりあなたの作品に出るのは、これでおしまい!」と、口にされた。そう遠くはないとわかってはいた、その日が、あっという間にすぐそこに来てしまい、言葉を失いました。私はあなたに死ぬ役を演じさせてしまったことを後悔しました。でももしかしたら、そのことはとっくにわかっていて、私はあなたと出会わせておきたい役者を共演者として選び、不謹慎にも、映画の中で先に、あなたへのお別れをしようとしたのかも知れません。希林さんも、そのつもりで、この役を引き受けたのではないですか? 是枝さんの映画はこれで最後、という宣言は昨年の12月、撮影が始まってすぐの時にあなたが取材に来た記者たちに既に語っていた言葉でしたから。
 映画は出来上がり、6月8日に公開されました。希林さんはそこで私たち2人の関係をキッパリと終わりにするつもりだったのでしょう。私の腕につかまりながら、杖をついて壇上にのぼったその日、あなたは別れ際、私にこう言いました。
 「もう、お婆さんのことは忘れて、あなたはあなたの時間を、若い人のために使いなさい……。私はもう、会わないからね!」
 そして本当に、その言葉通り、翌日からはいくら私がお茶にお誘いしても、かたくなに断られました。私はうろたえました。あなたほど、覚悟が出来ていなかったのです。骨折をされて入院された時も、会えないのを承知で、私はあなたの自宅のポストに手紙を投函しに行きました。手紙は、直接伝え損なった、あなたへの感謝の言葉を連ねた、独り善がりで、とても恥ずかしいものでした。そして、あなたはあっという間に旅立たれてしまった。
 その訃報にふれ、かけつけたお通夜の席で、3カ月ぶりに会ったあなたは、凜とした、穏やかな美しさに包まれていました。その姿を目にした時に、あなたが会おうとしなかったのは、私があなたを失うことを、そしてその悲しみを引きずりすぎないための、やさしさだったのだと、私はようやく気付いたのです。私は映画の中で、血のつながらない孫娘にさせたように、あなたの髪とおでこに、指先で触れました。そしてあなたが映画の中で最後に口にした言葉を、柩の中のあなたにお返ししました。
 人が死ぬとは、その存在が、普遍化することだと考えています。私は母を失った後、逆に母という存在をあらゆるものの中に、街ですれ違う、あかの他人の中に、発見できるようになりました。そう考えることで、悲しみを乗り越えようとしました。いま、妻であり、母であり、姉であり、祖母である、あなたを失ったご遺族の方々の悲しみは、もちろん計り知れないものがあると思います。でも、今回のお別れは、あなたという存在が、肉体を離れ、あなたが世界中に普遍化されたのだと、そう受け止められる日が残された人々に、いつか訪れることを心から願っています。
 個人的なことをもう一つだけ語ることをお許し下さい。希林さん、あなたが亡くなった9月15日は、私の母の命日でもあります。母と別れた日に、こうしてまた、母が出会わせてくれたあなたとお別れすることの巡り合わせというものが、私の寂しさをひときわ耐えがたいものにしています。母を失ってあなたと出会ったなどというこじつけは、正しくないかも知れない。けれど母を失ったことを、何とか作品にしようとしたからこそ、希林さんと出会えたことは間違いないのです。だから、あとに残された私は、あなたを失ったことを、その悲しみを、今回もまた同様に、何とかして別のものに、昇華しなくてはいけない。それが、人生のほんのひととき、ともに走らせて頂いた人間としての、責任なのだろうと思います。そうすることが、私のようなみなしごを拾い、そばに置いて、愛情を注いでくれたあなたへの、せめてもの恩返しだと思っています。
 旅立った背中を追いかけるように、柩の中のあなたに向かって、最後に語りかけた言葉を、もう一度だけ繰り返して、私のお別れの言葉を締めくくろうと思います。
 希林さん、私と、出会ってくれて、ありがとうございました。さようなら。
 2018年9月30日 是枝裕和

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コメント

是枝監督の弔辞全文を見てみたい!と思ったのはテレビニュースで橋爪功さんが読み上げる場面が数十秒流れた時でした。読み終えるまでに20分近くかかったという弔辞にはどんなことが書かれていたんだろうと激しく思いました。
惑さん、ありがとう。
今、やっと全文が読めました。
希林さんと監督との繋がりの深さを改めて感じています。希林さん出演の是枝監督作品は
殆ど見ているような気が。「歩いても 歩いても」「奇跡」「そして父になる」「海街diary」「海よりもまだ深く」「万引き家族」。
時にはその経験、慧眼から希林さんが是枝作品のプロデュサー的存在だったのかなと思うこともありました。
見事な生き方、人生の閉じ方でしたねぇ。
この人、すごい!と思った唯一の女優さんです。


投稿: ポッチ~ | 2018.10.04 22:54

>ポッチ~さん
自分もなぜ代読なんだろう。20分の弔辞?と全文が気になっていて、コピーしてしまいました。
NHKのドキュメンタリーで、なかなかお洒落な車をご自分で運転されていて、お寿司屋さんでシャリは半分程度でよい。どうでもよいネタはいらない。旬の美味しいネタだけちょうだい。値段も安くしてね。と堂々と伝えていたのも、らしいなぁと思いながら見ました。

投稿: 惑 | 2018.10.14 13:05

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