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日本橋界隈 part2

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ちょっとNYウォール街(行ったことはないが)みたいな街並み、特に一番手前の建物は前の記事(日本橋界隈縦パノラマ)に写真を載せた三井タワーなのですが、低層階はデザインを変えて、三井本館、日本橋三越本店と続く景観のスカイラインや、伝統の円柱を意識した設計デザインということで納得。
忙しく記事にできなかった写真を一週間遅れで追加紹介します。さて、今日から3月弥生、桃の節句ももうすぐ、こんなショーウィンドウがありました。人形屋さんではありません。
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Img_2706 村田眼鏡舗 元は京都で鏡師だったのが(1615)大阪夏の陣の年に幕府に請われて江戸へ、明治5年に日本橋で眼鏡船専門店を開業。お客様には乃木将軍、夏目漱石、そうして現在まで皇室の御用も承っているそうなので、あの眼鏡もここでおつくりになられたのでしょう。
色やデザインはもちろんのこと、顔のサイズ、目の位置、耳の位置・形に合わせて、オーダーメイドの眼鏡も作っているそうです。
一流の店のショーウィンドウはお洒落です。季節が変わった時にまた覗いみたいものです。
写真三枚ご紹介
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左:1834年 (天保5年) 武蔵の国埼玉郡千疋の郷(現在の埼玉県越谷市千疋)の侍であった初代弁蔵が江戸、葺屋町(現日本橋人形町3丁目)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、果物と野菜類を商う店を構えたのが最初の「千疋屋総本店」(18,000円のメロンが売っていました!)
中:1963年の香港が最初で現在13カ国に21(約8,000室)のホテルを展開し、シャングリ・ラ・ホテルズ&リゾーツや香港&上海ホテルズと並び、アジアを代表する高級ホテルチェーンとして欧米でもその名が知られていて。2005年12月2日に日本初進出した「マンダリン・オリエンタル東京。」(大胆に38Fのフロントまで行ってきました)
右:創業は延宝元年l京都で(1673)。明治維新の折、天皇陛下上京と共に日本橋へ。明治の初め頃は、多くの職人をかかえ、御所へ捲絵物や銀器等の調度品を納める仕事が主だった宮内省御用達の店で「三宅利右衛門商店」、現在のように古美術に携わるようになったのは、六代目のときからで今の屋号は「海老屋」(看板を写してきただけ)

日本橋という街は最先端の新しさと、江戸、明治から続く伝統がうまく調和しているように感じます。まだまだネタはあるのですが今朝はこの辺で。最後のニ枚は三井タワー38Fのマンダリン・オリエンタルホテルのロビーフロアからの写真と、日本橋界隈part3の予告写真です。今度訪れたらぶんぶんさんのように山本山本店でお茶も飲んでこなくては
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コメント

江戸時代創業といえば、木屋やにんべんもありますが、いらっしゃいましたか? 木屋の刃物はよく切れて長持ちします。
ところで、人形町のあたりはもう歩きましたか? 今は何も残っていないけれど、江戸時代には古い吉原や芝居小屋があり、近くに小伝馬町の牢屋敷があった、歴史のある町です。東京にいらっしゃる間にぜひ、玉ひでの親子丼と柳屋のたい焼きを味わっていただきたいhappy01

投稿: Tompei | 2008.03.01 12:56

追加!
魚久の粕漬け、ハマヤの富貴豆、双葉のお豆腐、鳥近の玉子焼きなど、美味しいおみやげもたくさん買えますよ。

投稿: Tompei | 2008.03.01 13:13

>Tompeiさん
柳屋の鯛焼きだけは早速食べてから池上梅園に行きました。ああいう皮がパリパリな鯛焼きは初めて食べました。はい、もちろんアツアツを一個、すぐに食べました。(^。^)

人形町、甘酒横丁、明治座あたりは何度かウロウロしていたので、店の名前はわからなくても、あの鯛焼き屋かなと。玉子焼き、粕漬け、豆腐もあたりはついてます(笑)。情報ありがとうでした。

投稿: | 2008.03.02 00:41

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