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面白いエッセイの難しさ

kakoの手文庫のKakoさんが「面白いエッセイの難しさ」という記事を書かれていました。kakoさんの記事によればある女性作家がエッセイストになるために必要な資質の一つとして、「人に嫌われてもいいや、という強さを持つこと」と挙げていたそうです。「善良な人の書く善良な文章なんてつまらない」とも。

團伊玖磨さんの「パイプのけむり」シリーズ 植草甚一さんの「スクラップブック」 僕が若い時代によく読んだ日本を代表するエッセイストの作品は「人に嫌われてもいいや、という強さ」を持っていたとは思えません。自分が見聞きした出来事について独自の鋭い感性とそれを読み手に伝わるように表現する能力を持った人の書いた作品があり、その中で自分の感性に心地よい刺激を与えてくれる作品が、読み手である自分にとっての「面白いエッセイ」であり「面白いブログ」なのだと思います。エッセイは文字だけですが、ブログには写真もイラストもさらにはLINKという仕掛けまであります。

文章よりも、その人が写して載せている写真が素敵で人気のあるブログもあると思います。イラストが最高というので人気のあるブログもあります。表現する能力には個人差があり、ブログではその手段も様々です。中には、感性豊かな上に、イラストも上手で、そのうえ文章も巧みという才能豊かなうらやましい人もいらっしゃいます。

誰にも知られないなら別の顔であの事も、この人のことも・・書けるのに、そんな考え方も確かにあると思います。kakoさんは自分が匿名で書くブログの記事について、知人、親戚に知られる可能性がある以上「当の本人が読んだら必ず傷つくのが分かっている。例え、その記事の評判が良かったとしても、私は決して幸せな気持ちにはなれないだろう。」と書かれています。

葉桜日記のTompeiさんの「匿名だけど匿名でない」もkakoさんの記事を受けた話で匿名の部分について「赤裸々にハチャメチャなことを書いてみたいと思わないでもないけれど、うーん、やっぱり自分にはそれができそうにない。その辺にこのブログの限界があるのかもしれません。」と書かれています。

この話はブログというよりも生き方の問題を含んでいるように思います。もしくは哲学的な要素なのかもしれません。本当の自分は物事をどう捉えているのか、どう考えているのか。それを偽っている自分が今の自分なのか。いろいろな見方があるし、いろいろな対応方法があると思います。

その中で自分が選んだ対応は自分がしたい対応ではなく、世間体を気にした偽善的な対応なのだと自分自身常に思いながら生きているのか、無茶な対応をする人もいるが、自分の対応は今の自分の気持に素直な対応だと受け入れて生きているのか。このテーマはきっと1か0かではなく、時により揺れながら生きているように思います。前者に思える対応の比率が高いとストレスがたまってくるのだと思います。

隠したつもりの偽善的な対応の場合にはブログの記事にもそれが滲み出てしまうような気がします。本物が持つ輝きを読み手はしっかり感じ取るのではないでしょうか。「エロ-ブログ」略して「エログ」と呼ばれるジャンルで頑張っているブロガーさんもいます。辛辣な批評で人気のブログもありでしょう。誹謗・中傷と批評は違うものだと思いますが。いずれにせよ、自分に正直な本物は伝わってくるものが違います。

kakoさんのブログには、そんな本物が伝えてくる力があるように思います。独自の感性と、それを伝える表現能力。どの記事もていねいに作られていて、その質感が「手文庫」のタイトルにふさわしいもののように思います。tompeiさんのブログにも同じように、素直に読める本物の優しさが伝わってくるブログです。「日記」とは言え公開している以上、人に伝えたくないものまで書かなくてはいけないという理由は何もないはずです。

それに比べると、このわくわく日記のいい加減さ。幅広いジャンル、様々な表現手法といえば格好良いけど、LINKもはりまくりでバラバラの薄い中身を補っていたりします。ま、これも自分らしさと、自分自身は以外に納得していたりします(笑)。惑流もまた面白いと思ってくれる読み手さんには感謝、感謝です。

ちなみにこのブログ広く公開はしていませんが、家族含め知っている人は知っています。残念ながらあまり興味をもたれていません(笑)。「らしいよね。」とも言われるので、地っぽいということでしょう(笑)。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

惑さん、トラックバックありがとうございました。
ですが、惑さん、ちょっと褒めすぎです(笑)

結局、「自分のスタイル」ということなのかなと思います。それ自体も日々色々なことに出会ううちに変わっていくかもしれませんが、その変化も合わせて人に見て頂くことが出来るのがblogだとも言えます。あまり矛盾だらけにはしたくありませんが。

色々な形があっていいのだと、いつもそこに戻ってきてしまいます。私は私、で、貫けたらいいなと思っています。

あ・・それから、惑さんのblogがいい加減だなんて、どなたも思っていらっしゃらないと思いますよ。ご家族がご興味を抱かないのは、やはり記事に安心感があるからじゃないでしょうか。別に自分のことが書かれているとかいないとかそういうことでなく。

投稿: Kako | 2004.12.05 11:27

 トラックバックありがとうございます。惑さんが書いてくださった拙ブログ(自分のブログの謙譲語のつもり)の印象が実像とかけ離れているので、お恥ずかしいかぎり。でも、そう言っていただいたことを励みにまた地道に書いていきます。どうもありがとうございました。

 惑さんの記事や、私の記事に対していただいたみなさんのコメントを読んで、今まで見えなかった(意識しなかった)ことが少しずつ見えてきました。結局、ブログには作者の生き方、人間性が反映されているということですよね。そう考えるとこわい気もするけれど、できるだけ肩の力を抜いて続けていきたいと思います。

 私がいつも読ませてもらっているブログはそれぞれ形は違えど、何らかの刺激をもらえるものばかりです。こちらの「わくわく日記」も、「へぇ!」「ほぉ!」と感心したり、くすっと笑ったりしながら、毎日楽しませていただいています。今日はどんな素材をどんなふうに料理しているか、とわくわくしながらアクセスしています(^^)。惑流のますますのご隆盛に期待しています!

投稿: Tompei | 2004.12.05 12:07

>kakoさん
トラックバックさせてもらって、適切な記事だったかどうかも読み返して気にしていたりします。勢いのある文章。落ち着いた文章。軽やかな文章。重い感じの文章。その日の気分さえ知らず知らず伝えてしまう文章の怖さも感じていたりします。コメントありがとうでした。

投稿: | 2004.12.05 22:17

>Tompeiさん
肩の力は今までもそう入っていないような気がしますよ。力んだ感じのない軽やかな読後感というのは僕にとっても、そうありたいと思うひとつの目標です。なんだか偉そうなことを書いてしまいましたが、こちらこそこれからもよろしくです。コメントありがとうでした。

投稿: | 2004.12.05 22:29

こんばんは、ご挨拶が遅れてしまいました。

なかなか難しい問題で正答というものが無いではと思います。
悩みながらも同じ視点で考えていけるかなと、トラックバックをつけさせて頂きました。

投稿: | 2004.12.06 00:14

>涼さん
・・何故か普段の自分とは違う・・。一般的には何か物を書いてそれを知人、友人に見せるという作業は、日常的にはあまりない作業だと思います。同じつもりでも、流れていく会話から受ける印象と、それなりに考えて起こした文章からうける印象が違っても不思議ではないような気がします。
スタンスの違いもあったりはするのでしょう。あれも自分、これも自分。逆に今まで知られていた印象に文章から受ける印象も加わって、相手なりに受け止められて行くのだと思います。
この人の書くものをまた読みたいと思ってもらえるのはとても嬉しいことですが、ハウツーはないような気がします。トラックバックにコメントまでありがとうでした。

投稿: | 2004.12.06 01:55

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