« 殺した少女はどうして・・・ | トップページ | 何はなくとも・・水曜どうでしょう »

殺意を嫌悪に変えられなかった弱い心

 改めて命の大切さを・などという論評も少なくないようだ。でも加害者の少女にとっては殺したいほど彼女が憎かったのだと思う。殺意を持ってことにあたったと本人が話しているのだから。
 極東ブログさんの記事はまったく違う視点でこの事件を論じていたのでご紹介したい。

今回の事件の被害者と加害者は、報道によれば深く関わりのある友だち同士だったようだ。だが、殺意に至る前に、それをきちんと嫌悪に変える心が持てなかっただろうか。「私はこの人が嫌いだ」とはっきりと自覚し、その嫌悪の強さと苦しみから、その嫌悪を無関心にまで引き上げる心の訓練というものはできなかったものか

 嫌い、憎い、いなくなればいい、死ねばいい、殺されればいい、殺したい、殺すとエスカレートしていった心はすさみ荒れていくと論じている。それがよくないことだと十分わかっていてもそのルートから外れることができない、強い思いをコントロールする心の強さを持つ訓練が必要だと述べている。
 加害者の少女も大変成績も良い優秀な生徒だったとかかれていた。転校生だった被害者とは仲が良かったとも書いてあったが、盲腸だか家の手伝いでバスケットボール部をやめたときに一緒に止めたという記事があって、なんだかそれも個人的には何か引っかかっている。転校生が来るまでの彼女のポジションはどうだったのか、全く想像の域をでないが、加害者の少女は弱い立場、苦手というものを知らずに来た人生だったのかも知れない。小泉首相の言葉ではないが「痛みに耐える強さ」というのは世の中にある。自分の心をコントロールする難しさ、支える仲間や、手を差し出す家族も必要かもしれないが最後は本人以外どうしようもない世界であると思う。
 具体的にどうすればよいのかと問われれば答えを持っていない。だが、子供たちが育ってきた環境も、どう育てるか何を教えるかという教育も、我々大人が作り与えてきたもので責任はある。どこで何を間違えてきたのか、いろんな見方、考え方を受け入れて、対応していかなければいけない。動揺しているのは大人よりも同じ世代の子供達なのかもしれない。「あいつがいなくなったらいい」そう思っている小学生はまだまだたくさんいるに違いないのだ。そのいやなやつを殺した小学生が現れたのである。しかも普通の女の子である。影響は少なくないと思う。
 極東ブログさんの記事を受けて思った雑感を書いた。ぜひ一読をすすめる。

|

« 殺した少女はどうして・・・ | トップページ | 何はなくとも・・水曜どうでしょう »

ニュース」カテゴリの記事

心と体」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4833/698526

この記事へのトラックバック一覧です: 殺意を嫌悪に変えられなかった弱い心:

» 幼き殺意 [優雅なる没落]
いつになくアクセス数が伸びているのでリンク元を確認したら惑さんのわくわく日記から [続きを読む]

受信: 2004.06.02 22:14

« 殺した少女はどうして・・・ | トップページ | 何はなくとも・・水曜どうでしょう »