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テロと戦争と虐待

ブッシュ大統領が 「イラク人収容者とその家族が受けた屈辱に対して申し訳ないと思う」と述べ、初めて直接的な表現で謝罪したそうである。虐待はよくないことではあるが、捕虜で収容する前に、爆弾で吹っ飛ばしたり、小銃で撃ち殺したりしたイラク人は戦争だから正しいことで謝罪の必要はない部分なのだろうか。
話はやや極端な過激なトーンになってしまうかもしれないが、テロという形であったにせよ初めて外国から攻撃されて自分の国の中で自分の国民が死ぬというアメリカにとって建国以来の屈辱的な出来事音に対してだれかを敵にしての単純な仇討ちを無理やり、正義の御旗をかざして戦争を始めて、多くの国を人を巻き込んで殺し合いをやって勝ったつもりが、ゲリラ戦の様相を呈して勝利の駐留軍のはずがジワジワ被害を受け続けている。まぁイライラもつのるのもわかるが、歯には歯をという無茶をやった報いだと思ったりする部分もある。自分の家族をあの9.11のテロで亡くしたアメリカ人が兵隊としてイラクに行っている可能性だってないとはいえない。あれは自爆テロではあるが、目の前にいるイラク人はあの家族を殺したテロの犯人と同じ血が流れているやつだ。そう思った時にとんでもない行動に出る人間がいても不思議ではない。許されるわけではないが心情的に理解できる部分はある。罪を憎んで人を憎まずなんてそう簡単に割り切れるものではないだろう。戦争なんてまともな精神状態ではやってられないというような手記は随分目にした。動物社会においては生きていくうえでの食物連鎖としての殺し合いが基本である。勢力争い、なわばり争いで戦うこともあるが、殺しあいまではしないことのほうが多いような気がする。そう考えると人間というのは高等ではなく、とても下等な動物かも知れない。戦争で細菌兵器は禁止とか原爆は禁止とか一見人道的なルールのようであるが、勝利した後にのっとって使える筈の土地や建物がつかえなくなる。労働力として使える人たちが病気で使えなくなる。そういう武器は使うのを止めよう。勝つことを前提にした強者の勝手なルールなのではないだろうか?強力な武器は自分たちは廃棄しないで新興国が持っているかもしれないとなるとダメダダメダと取り上げる。いやはやひどい理屈である。戦争に負けたら女は乱暴され男は嬲り殺される。拷問で何か余計なことを敵に告白してしまうかも知れない。虐殺も強姦も拷問もあってはならない。だがそれは起きてしまうことはあるおろかなる人間の悲しさである。 だからといって「生きて虜囚の辱を受けず」というのでは話はもうめちゃくちゃで人権などどこにもない。哀しいかな日本はそのめちゃくちゃ思想の教育をたたきこまれて抜け切っていない人たちがまだまだ元気で声が大きかったりする国なのだ。しかし政治家を選ぶのは国民である。国民というのは自分自身のことである。少し自己嫌悪・・。密かにちょっと信じている宇宙連合には地球はやっぱりまだまだ入れそうにない。仲間割れして殺し合いをしている星は参加させてもらえないのだそうである。(哀笑)

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